両国夜話
両国界隈に住んでいた時分、蔵前通りは大川より亀戸寄りの路地を入りましてね、工場や倉庫の建て込む奥に古アパートがございまして、そのニ階の一室に三味線のお師匠さんが稽古場を開いておられた。「検校」と書いて「けんぎょう」、早い話が盲人組合の最高位ですな、なんでも江戸は最後の検校に師事したとかで、傍目には覚束ないような老盲人でも腕は確かだった、トチの鮮やかな紅木金細の細棹はこれまた見事な木目の浮いた綾杉胴で、これに四つ乳の猫皮を張りましてね、ひとたび聴けば人を奇しの境地へいざなうそれは見事な音を奏でた。
凋落したあとでもひと月に一度は両国はもとより新宿上野浅草と寄席を渡り歩くくらいの粋人気質の名残で、酔い心地の秋の夜にそんな三味の音が虫の音に紛れて耳に触れようものならもう居ても立ってもいられません。漸う見つけ出したその夜のうちに押しかけ頼み込んで弟子にしてもらうこの厚かましさ。師匠は酒に目のない人でしたから、必ず手土産に一升瓶を持参しましてね、稽古がしまうとなんやかんやこちらが煽てて勧めるものですから、すっかりあちらものぼせて贔屓にしてくれましてね、当時はちょっとした江戸ブームの折で、端唄新内都々逸だの大卒まもない女子の芸人の成り手も少なくなかったから(いずれ俄かは長続きしないが)、そんなのに混じっての稽古なら願ったり叶ったりでしたけど、こちらが零落した遊び人と見るや警戒したものでしょうな、頼みもしないのにこれからは日曜の夜に個人教授して差し上げるなんて言い出して、それからは三味の稽古もそこそこに、二人してよく深い時間まで飲んだものです。あんな夜更けまで歌おうが何しようがお咎めなしだったのは、部屋の両隣りが噺家の卵とアマチュアバンドのドラム叩きで、これまた毎晩のように酒盛りしてましたから、そこはお互いというやつでした。
唄も楽器も一流でしたがこの師匠、話がまたべらぼうに上手い。饒舌どころぢゃないが、三味線にあわせて訥々と語り出せばたちまちあたりは幽玄境。西洋で不吉といえば黒猫だが、古来支那では白猫でした、なんて不意にくる。白猫が高いところで月浴みなんぞしていれば、魔に通ずると云ってこれを打ち殺した。白猫は尻尾を伸ばしてお月さんの表面の黄金を掠めては舐めると云われていて、あれは魔を恐れるより業突張の支那人が金に目が眩んでしたのがほんとう、なんて話をしてひっひと笑う。不思議譚に三味線に長唄、酒が回れば師匠はなんでも注文に応じてくれる。年は親子以上に離れてましたけど、馬が合ったんでしょうな。三味線聴きながら欄干に肘かけて大川に落ちる廓の灯と漂泊する無数の猪牙舟を見晴かすなんてのは最高でしょうが、生憎窓の外はロの字の吹き抜けで、室外機を並べた一階の屋上がベランダのすぐ向こうにあって、そこに住人が平気でゴミを投げ捨てるものだからたださえ日当たりの悪い部屋に虫まで湧いた。物狂おしさを淋しみたいとなっても傍に女の柔肌のあるわけもない。ところがこの師匠、三毛猫を一匹飼っておりましてね。ねこねこ呼ばれるそれが、どうかするとすっかり酔いの回ったこちらにぴたっと身を寄せて、胡座のなかに飛び込んで丸まったりなんかする。その温とさ柔らかさが女の柔肌の十分補填になった。まさか師匠、この娘もいずれ太鼓になるんじゃ、と桃色の四つの乳の見える腹を撫でながら言ってやると、そんなむごいこと、するわけがないと鼻で笑った。
師匠の親父は猫の皮売りだったらしく、往時はそこらじゅうに野良猫はいて、動物愛護もうるさくなかった。輸入物が主流になってからも食い物と気候が違えばおのずと音も変わるとあくまで国産にこだわって、あれはあれで三味線の魔力に取り憑かれた狂人だったと師匠は言った。親父は自分が物心つく前に変死した。殺生を生業とした報いだったろう。親父の残した猫の皮がわんさとあるから、皮張りに困ることはないと師匠は自慢した。
師匠の部屋の隅に、すっかり古色に泥んだひと抱えの鍵つきの桐の櫃がございましてね。あれは何かと尋ねましたら、あれは親父のこさえた究極の三味線。ほう、究極の、となって、俄然それを拝んで出来得ればその音を拝聴したいとそりゃ当然なりますわな。しかしこればかりは師匠も簡単にはウンと言わなかった。で、こちとら日増しに見たい見たいが募って、しまいには狂わんばかり。
それでとうとう畳に額を擦り付けて見せろ聴かせろと懇願する。すると師匠は、「ひとたび遊びを覚えれば際限ない。人の常とはわかっていても、この歳でトモダチもないからあんたとの仲は大切にしたい」と謎のことを言う。だったら尚更と食い下がると、だから越えない線があるのさとにべもなかった。明日死ぬかもしれない、そしたら死んでも死にきれないと、酔いの回った口が出まかせ言います。酒が入るとしつこくなるとは向こうもわかっていて、太い息を吐きますとね、「わかりやした。これも酔狂、冥土の土産にするがいい」とやおら立ち上がって櫃の蓋に手をかけた。
緋色の布からお目見えしたのはそれも細棹で、師匠の普段使いも立派なものだったが、それを遥かに上回る代物であるとは素人目にもわかる。紅木金細の竿に綾杉胴は自明として、胴と竿の側面に、大小無数の螺鈿の蝶が舞った。白いよりやや黄みがかった皮に四つ乳は浮かないが、棹の方向に目が均等に走って、これはそうある逸材ではない。よく見ると隅のほうにあるかなきかの星模様があって、それは乳のあるように見せかけるため灸でこさえたのとそっくりで、しかしそうなると格段に価値は下がる。
師匠はやおら象牙の平撥を取りますと、その棹で京鹿子娘道成寺のチンチリレンの合方を奏で始めた。さて、その音色に当てられたこちらはどうかといえば、たちまち総毛立ち、やがてからだの反応に心が追いついて、なにやら怖くてたまらなくなってきた。何が起きたか皆目見当がつかない。わかった、もう十分と言おうとして舌が渇いて口蓋に張り付き、声は出ないしからだもにわかに金縛り、見ると師匠はこちらの反応うかがいながら口の端に笑みを浮かべるようである。すると例の三毛猫が日頃のおっとりには似合わず背の毛を逆立てて師匠を威嚇し、くわっと口を開けたかと思うと飛びかかった。着物の合わせに潜り込み、好き放題暴れるのも構わず、三味線を弾き続ける。そのうち帯が解けて前がだらりとはだけると、師匠の胸から臍にかけて、皮を切り取られた痕の赤剥けの矩形が晒された。同時に師匠もまたくわっと口を開け、白目を剥いて、それはもう、この世のものではなくなっていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?