感受性を失わないでいるには
感受性を失わないことが、写真を撮り続けるためには大事なことです。でも一般的に、大人になればそれは鈍くなっていくものと言われます。大人になっても、感受性を失わないでいる方法はあるのでしょうか。
感受性は子供には敵わないのか
こんにちは。写真の先生してます大野朋美です。
子供は感受性が豊かです。でも大人になるにつれ、だんだんとそれが鈍くなっていくと言われます。
たしかに子供は、大人よりもずっと驚きが多く、その感じ方も、ときに大人が思いつかないようなことを口にします。
そんなとき、子供の発想ってすごいなって驚嘆しつつ、私にはとても思いつかない、やっぱり子供には敵わない、なんて思ったこともあるのではないでしょうか。
子供の感受性が豊かなのは、まだ知識が少なくて既成概念にとらわれないからだと言われます。だとすれば、知識が蓄積された私たち大人は、何かに感動する心が失われてゆくばかりだと、諦めるしかないのでしょうか。
いいえ、大人には大人のやり方があります。努力次第で、感動する心を失わずにいることはできるのです。
大人になっても感受性を失わない方法
わたしが初めて海外に行った時は、見るもの全てが新鮮で、街の全てを写真に撮って残しておきたくなったものです。しかしそれも20代まででした。
31歳のとき、わたしはアメリカ大陸縦断の旅をしました。中南米は初めて触れる世界で、たくさんシャッターを切りました。でも高層ビルが整然と並ぶニューヨークは、たしかに規模は大きかったけれど、けっきょく見知った風景の延長にしか感じられなかったので、あまりシャッターを切りませんでした。その数年後に訪れたパリでも、たしかに街並みは素敵だったけど、西洋の石造りの街並みも何度も見てきたので、昔ほど撮らない自分に気づきました。
目新しい風景を見つけなければ、感動しなくなっていく自分へ、一抹の不安を覚えたのはこの頃です。これからの人生で、感動する風景はどんどん減っていくのだろうか。目新しいものを見つけていかなければシャッターを切らなくなっていくのだろうか。そんな危機感を覚えました。
でもそんなことはなかったのです。
最近のわたしは、お城の石垣をよく写すようになりました。
もちろんお城の石垣を、最近になって初めて見たわけではありません。子供の頃から何度も目にしています。でも子供の頃は、お城なんてほとんど興味を持ちませんでした。修学旅行などで訪れても、正直言って、つまらないと思っていました。
でも「おさんぽフォト」(わたしが主催している撮影会です)で、お城を訪れることがあると、参加者の中で詳しい方が、石垣についていろいろと教えてくれるのです。そうするうちに、だんだんと石垣に興味を持つようになってきました。
石の積み方にもいろいろあって、それぞれに名前が付いていると知りました。「ここはこういう積み方で…」なんて話を聞いて、あらためてよく見てみると、その積み方にセンスを感じます。また先人の苦労などに思いを馳せれば、感じ方も変わってきます。
つまり知ることによって興味が湧き、感じ方が変わったのです。
ではもし私が小学生の頃に石垣についての話を聞かされていたら、興味を持っていたでしょうか。いいえ、おそらく持たなかったでしょう。
わたしの場合は、大人になったいま、昔の人々の工夫や苦労に思いを馳せられるようになった。それは自分自身が、これまでいろいろな経験を味わってきたからこそ、想像できたのだと思います。
そう、だからいつまでも感受性を失わずにいるための方法、それは知識や経験を増やすことです。
これは一般的に考えられていることと、いっけん矛盾するように思われるかもしれません。しかし既にある知識や概念に凝り固まることが問題なのであって、知識や経験を増やしていくことは、必要なことではないでしょうか。
知識のない状態から得られるピュアな印象は、もちろん大事にしたいものです。でも知識や思考、想像することで得られる感情にも価値はあるのではないでしょうか。
そのためには、心を閉じないで、いつまでも貪欲にものごとを吸収していきたいものです。
とは言え、この心を閉じないでいることも、ときに簡単なことではなく、真剣に考えてみる価値のあることですが、それはまたの機会に。