情報難民状態を切り開く_独学のひらめき_

情報難民状態を切り開く、独学のひらめき。

*発信するねうちのないものばかりが、ふわふわと。

いまの日本は情報化社会とか、多様化の時代とか、個性重視の時代とか言われてますが、だまされてはイケマセン。そんな指摘は全部表面しか見てないハズレくじです。

もう完全に上から目線でモノ申しますね。

今の世をつぶさにみると、いやつぶさに見るまでもないですが、周囲は粗雑で穴ぼこだらけの人民抑圧空間に、みんなひとしく押しつぶされてるだけです。この雑な穴ぼこ状態がキレイに修復された水平で透明で豊かな世界なんか、いまだ人類はなしえたことがないです。

いやもうそれどころか、ネット社会になってから、ますます、完全に、間段なく、そうした粗雑な穴ぼこは拡大の一途をたどっています。ガセネタ、白々しく空疎な話、情緒ダダ漏れ話、中身の薄っぺらい情報(の名にも値しない文字列)ほど、ウェブやニュースで拡散しやすい昨今なのは、ここで申し上げることもありますまい。雑です、なんたる短絡。

ほんで人民はそれらに翻弄されるだけで日が暮れてゆき、年を重ねていくのです。

たとえば昨今話題の「保育園落ちた日本死ね」ですが、あの話は「一億総活躍」=「就職」という実にちっさなキメツケが、出発点のひとつになっており、あの文はその後も「もらえない者」の、制度全体へのうらみつらみが噴出していますが、これがイマドキ情報特有の、「押しつぶされた」薄さ、短絡さです。それはなにかに勝ったor負けたとかいうレベルでしかありません。

「活躍」とは何でしょう。それは他から与えられるものではないのであり、自分で自分の中から取り出して、磨きをかけてゆくものであります。子供を預けられない外部状況なら、どうやってそれを逆手にとって稼ぎ、生活に貢献させてゆくか…それを考え抜く思考や行動そのものが、すでにあなたの中に生じたホントの「活躍」です。そしてそれは就職活動や給付金の増額といったあてがいぶちの対外行動をうまくやってのけることとは似て非なることです。

あれ書いた人の財政的、生活的状況は想像つきますし、社会資本利用のバランスの悪さにはモノ申したくなるのもよく分ります。しかし、そのおおもとの本筋(自分が「活躍」というもの本家本元であること)が分ってないと、不毛なクレクレ話になってしまうのであります。あたしのかわりに誰かが保育園受かったんで、その女性うらやましいチクショー!なんて考えても仕方ないし。

このように情報の「断片」は星の数ほどありますが、肝心なその本筋の解釈を示してるものは驚くほど少ないです。量だけあふれてて質がない。すなわち雑、穴、空虚、短絡。これがホントの情報「格差」社会。

ネットやスマホやSNSの操作に詳しいからって、いわゆる「情弱」じゃない…わけじゃない。むしろ、サービスやデバイスの盲信的奴隷な分だけ、「弱者」なのかもしれませんぞ。

だから混乱しますよね。

情報難民状態を切り開く、独学のひらめき

情報の薄っぺらさに関してトップクラスのジャンルを挙げるなら、稼げるとか在宅ワークとか、アフィリエイト系なんかの「情報」周辺でしょう。

「独学ですとアフィリエイトに挫折しますから…このノウハウが役立ちます」なんて、一見もっともらしいアレね。

逆でしょ。

「独学」だからこそ時間はかかっても、誰にも奪えない/搾取されない、真のスキルが、あなたの内面に身に付くんじゃありませんか。

それもゆるぎない、骨太で堅実な思想という形で定着するんじゃないですか。

アフィリエイトをいま例に出しましたが、世の中のノウハウとかスクールは何でもそうです。

参考書はあってもいいですが、例えば声優になるのも、アニメ描くのも、プロのミュージシャンになるのも、スクールが先じゃない。

いっとう最初にあるのは、自分の意志です。声をアテたい、動く絵を自分で表現してみたい、自分の歌をうたいたいっていう、もうどうしようもないほど自分の中に渦巻く衝動です。

手段なんてあとから自然発生的に従属させるものです。真のスキルを目指すためには「独学」を貫くべきです。

ノウハウを、それも人から教わるのが先だなんて、まったくあべこべですよ!

黒澤明や溝口健二、小津安二郎みたいな超ド級の映画才能が、極貧で、参照先も検索先も何もない社会情勢から、同時代的に多数出てきたのは、そういう順番があったからだと思います。

逆に言うとそんな衝動も感じられないものを選択してしまう、というか元から準備された規定のもの(会社とか)になじませられてしまうことから、ボタンの掛け違いが始まっていくんではないですか?

見当違いのものに没頭していく錯覚の蓄積。これを不幸といいます。ホントの経済活動やホントの仕事、ホントの活躍とはかなり違います。

有名なアニメ監督/映像作家の押井守は、自分の経歴を振り返って著作でこう書いています(『凡人として生きるということ』幻冬舎)

「とにかく、手当たり次第、映画をみて、ノートをつけまくった」

「おかげでいきなりコンテを切れ、周囲から驚かれた」

そうやって今に至るまで長年の間、押井守は多くの人を驚嘆させるような映画を撮り続ける、堂々たる世界の巨匠です。

自分で情報を判断/解釈できないと、今の世の中での個人は、混乱の度合いを深めてしまって孤立してしまう…これは無理からぬことです。

自分の頭で周囲を疑ってみましょう。すぐにでも「活躍」を起動できます。

あなたはあなたという、かけがえのない情報主体なんですから。

<了>

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