帰国後蛙化日記
一年後の自分はもとより、明日の自分がどうなっているのかすら確信が持てない。
失敗するのが不安、とかそういうことでもないと思う。
失敗を人生の終わりと捉えられる呑気さを持てるほど井の中の蛙ではなくなってしまった。
大海を知った蛙が井の中に戻ってきたとき、次にすることはなんだろう。
井の中で相変わらずメス獲得のために鳴き声の大きさを競っているかつての仲間に「ねぇ君たち一旦鳴くのやめて外に出てみない?メスよりもっと刺激的なものが色々あるよ」とか言っても、「邪魔しないでくんない?別に今のままで良いんだけど」と変なやつ扱いされるだけである。
口をつぐんだ蛙はひとり端っこの方で、海の向こうで友達になったカニくんから貰った小さな貝がらたちを積み重ねては崩して、積んでは崩して、を無意味に繰り返しながら悲しみに暮れる。
そんな中のある日、1匹のメスが蛙くん大丈夫?と心配してくれたことがきっかけとなって希望を取り戻しゴールイン!
…という妄想が現実になることも蛙はどこかで期待していたが、そんなことは起こらない。
いや、本当は何匹か心配してくれていたのだけど、やっぱりオスに鳴かれる世界で器用に生きている彼女らとは虚しさを分かち合えなくて、こちらから心の内を話すのをやめてしまった。
ふたたび周りのオスたちのように鳴き始めようかとも考えて声を出してみるが、かつてのような鳴き声はもう出ない。
そしていつの日からか、このまま自分なんて干からびて死んで仕舞えばいいのに、と蛙は考えるようになる。略してかんガエル。
ちなみに蛙の脚は結構おいしいです
何をするにも億劫で、YouTubeの画面上で得意げに喋る人たちを呆然と10時間眺め続ける今のウルトラクソニート生活(ちなみに高校3年生の受験期のスクリーンタイムは1日平均11時間だったのでかなり良い勝負だ)にどこかのタイミングで終止符を打たなければならないことも頭のどこかでは分かっている。
まぁでも2週間前までいろいろ飛び回ってたんだから、アメリカで学位をかっさらった直後から日本でウルトラクソ鬱ニートになるくらいの人生の緩急があった方がおもしろいんじゃないか、と敢えてかるく捉えてみようと思う。