徴兵制の支持者にキム・ギドク監督『コースト・ガード』を見せたい
時々、誰かが「日本にも徴兵制を」と発言して物議を醸したりする。愛国主義者の他、規範意識を欠いた若者たちを成長させる強制的なイニシエーションの場が必要だと思う輩もいるのだろう。
仮に徴兵制を導入するとどうなるか。キム・ギドク監督の韓国映画『コースト・ガード』は現代における徴兵制、軍隊を考える機会を与えてくれる。
軍事境界線近くの湾岸で、北朝鮮のスパイが侵入しないか監視するカン上等兵(チャン・ドンゴン)はある晩、「夜7時以降の侵入者はスパイとみなし射殺する」という規則がある監視区域に入ったカップルの男を射殺してしまう。一緒に入ったカップルの女とカン上等兵はともに精神を病み、共同体から爪弾きにされ、監視区域をさまよい始める。そして、規律の厳しい軍隊の歯車も次第に狂っていく。
映画の冒頭では「おれが捕まえてやる!」と言い放ち、過剰なまでの殺気に溢れていたカン上等兵。しかし人を殺めた後は生気を失い、被害者の知人らに袋叩きにされ、彼女にも振られてしまう。あくまで規則に従っただけのことだが、その真面目さゆえに、レールを外れた人生は誤った方向から戻らなくなってしまった。「強制的なイニシエーションの場」はある種の人々を成長させるかもしれないが、別のある種の人々を狂わせるのだ。
『コーストガード』の映像は夜のシーンを除いて軍隊的なカーキ色。緑色と茶色が支配していて特徴的だが、映画の最後は違う。現代的な街並みはカラフルだ。だがその中で、カン上等兵だけがカーキ色の軍服を着て、銃を手に軍隊格闘術の練習に励んでいる。
場違いの彼はうつろな目をして歌う。
「楽しかった あのころに
時計の針が戻せたら
薄れゆく 記憶の中の
あの昔に 戻れたら
尽きせぬ この思いを
あなたに伝えたい
いくら悔やんでみても
帰らざる われらが日々」
(『過去は過ぎ去った』より)
キム・ギドク監督は、「工場勤務の後、厳しい父親の元から逃げたい思いから軍隊に志願。20歳から5年間を海兵隊で過ご」したという人だ(『絶対の愛』公式サイトより)。軍隊におけるイニシエーションが何たるか、身に沁みて分かっている人だろう。
キム・ギドク監督の略歴は次のように続く。「除隊後、今度は夜間の神学校に通い、教会に2年勤務して牧師を目指しながら、幼い頃から好きだった絵を描くことに没頭する。90年、フランス語もできないまま、パリに渡り、描いた絵を売って生計を立てる。ギドク自身によると、パリに行くまで「映画」を見たことはなかったという」(同)。
このエネルギーの過剰さは、キム・ギドク監督の劇中に出てくる登場人物そのものではないか。キム・ギドク映画はフェイクではない。すべてが本気であり、監督本人の壮絶な人生の模索であり記録なのだ。
キム・ギドク監督の映画を観れば、私のような人間でもいろいろと考えさせられる。徴兵制を導入したいと主張している人々にぜひ見てほしい映画だ。
(※2007年11月30日に書いた文章を基にしています)