考えた結果。同性婚には反対する。LGBTQIA+は肯定する。子供への教育は配慮をするべき。
賛成反対言う前にちゃんと考えてほしいって事。ムーブメントに乗って勢いやなし崩しで決める事ではない。
● 追記
考え直したので追記する。
元々自分が同性婚に反対するというタイトルにしたのは、結婚制度に対して疑問があったから。人間が番になるのは自然なことなので、それを国に届けて出てまで管理する必要があるだろうかという疑問がある。異性婚も同性婚もまずは最初から考えるべきだという考えをセンセーショナルにしたかった。
だが、今まで考えてきて多少変わった。
同性婚に反対するのではなく結婚制度への疑問を詰める。
結婚の持つ意味とは?
過去と現代の違いは?
人が文明を築いていく過程で結婚制度のようなものが広まっていった。宗教的なものにもなっていくものもあった。地域に固有の文化風習が築かれていった。当時の人々が持てる常識の範疇で作られていったものを近代国家が継承しただけ。そのとき国家として機能しやすくなるような最適化を行う。
現代は、当時の人権意識や科学的知見よりも進歩しているから同性婚について認めようという提案が出てくるのだ。そして反対派の意見は子供が産めないとかその程度のテンプレートしかない。正直なところ反対する理由が弱いと思う。伝統的慣習を守りたいという事と、壊されたくないという気分が支配しているのではないだろうか。
結婚が異性婚として社会に認められていることはそのまま何も変わりが無くて、同性婚を排除する必要はどこにあるのか?
どちらも番になりたいならなればええがな。
結婚制度が保証する権利を同性婚をどうすれば認められるかを考えていくのも大事だよね。
むしろ既存の結婚制度に賛成しているのであれば、その番を祝福するのと同様に同性の番を祝福する事を考えるべきではないのか。
結婚にそのニュアンスあるだろ。
人間達が社会の中で作りだした制度だ、現代においては同性婚というものが必要だと言われれば本当に必要かもしれないと考えを深めたらいい。
現代の人権に当てはめるとどうしても反対する理を見つけられないから反対派は差別的でテンプレート的な応答でしかできないのだろう。いや、頭が悪いだけという方が可能性は高い。安倍や山谷など政治家や宗教右派やカルトが教義に従うために何も考えないで反対しているのだ。
以上。
・反対を表明できない事の難しさ。反対すれば爪弾きにされそうな雰囲気の世の中。だから反対を表明できない状況があるのかもしれないと思った事。
・自分に反対するメリットが無いから、空気に合わせて賛成する場合がある。しかしその事の無責任さ。無自覚さ。
・教育への配慮、アブノーマルがなぜアブノーマルと言われたのか。
・子供の将来は環境と遺伝子で決まる。教育や社会から様々な影響を受けて形成される。最初はノーマルから教えるべき。
・なぜ18禁規制があるのか。
・少子化対策と同性婚を比べたら少子化対策の方が圧倒的に優先度が高い事。
今回無視している事「同性婚の場合の税制」「偽装結婚の横行、ビザ問題」
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ジェンダー問題について社会上での問題意識の低さ、反対派の理論武装が足りない。直感は意外と正しい場合がある、しかしそれを共感を得られるように表現しきれいていない。同時に利き手の教養によっては反発を得てしまう。
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私の周辺でネットもリアルの知り合いも、同性婚に反対するという意見が出てこない無い。
有名人、芸能タレントの人はまず反対を言わない、世論と異なればバッシングを浴びる(炎上する事)して、仕事がなくなるから。企業勤めの人もSNSの関係を大事にする人も基本的に自分にデメリットが無ければまず相手の意見と気持ちに同意して賛成に回る。
同性婚について深く考えていないのだと思う、脊髄反射と同調、メリットとデメリット。そして結婚の意味。
少子化の方が優先度が高いと言うのは、人間には生死が当たり前の事で、文明社会が発展・維持をしていく前提として新世代への継承が絶対に必要だから。
そして少子化によって経済も感情も貧しくなり日本の文化が廃れていく事が寂しいから。
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日本は、表現の自由が保障されていても、人間関係や仕事と生活の関係から、それが公序良俗に反していないにもかかわらず表現の自由が許され無いというか、気を配って意見できなくなっている事が往々にしてある。
その結果としてあらぬ方向へと舵を切る事になってしまう。
その結果は不可逆で、失われるものは大きい。
ヘイトでもないネトウヨでもないネットイナゴでもない、
そういう一つの意見を持っている人がいたとしても周りに気を遣って、自分の立場を考えて、正しいと思えても意見をださない。
だから衝突せず流れのままに流れていく。
私自身の思想や物の書き方が悪いという事も分かってないわけではないですが、上手く表現できるほど文筆に熟練していないのです。
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同性婚には反対だが、LGBTQIA+は肯定する理由。
「結婚」とは伝統でもあったが、戦後のミームだとも言える。しかし問題は国家が「結婚」を制度化して介入すべきかどうか。
国が結婚のルールを決めて管理する場合の可能性は3つ。
・介入する:従来通りに異性同士一夫一婦の結婚を認めるが、同性婚、近親婚、複数婚を認めない。
・介入する:従来の結婚と、その他の形式の結婚を認める。
・介入しない:当事者間で結婚契約を交わすなどが考えられる。契約で強制力がある物かどうかは国の法律に基づく。
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同性愛やその他の性愛が、娯楽物として表現されている事についてはどう思う?
それは特にどうも思わないし、関連付けて考えるものでもないと思う。公序良俗に反していなくて受け入れられている物。ゾーニングされている事。それぞれの人が、自分が好きな物であっても、他人の中には嫌悪している人がいるという事を自覚して個人で楽しんでいるという事であれば問題ないのではないか。
嫌いな物を嫌いだと訴える人の意見をブロックしてはいけないという事だ。それをお互いに知り合う必要がある。
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第三の性ってどう思う?去勢などして無性化するか、両性具有という事か。身体という物理的な事実に基づく性別というのは、気持ちや考え方とは別に受け入れがたくても受け入れざるを得ない現実として認めるしかない物であり、
それは自分が貧乏だったり、いじめられたり、何かそういう不遇な事に巡り合っている人は沢山いて、それを救っていこうというのは間違いない。
しかしそれが物理的事実を越えて性転換や第三の性を設定する事で解決を図るのは間違ってはいないか?本当に問題の根本に立ち返って考えた結果なのか?性別は身体に基づく事実として受け入れるだけで、実際の本人の苦痛を取り除くのは本人とその周りの人々の付き合い方かもしれない。それを補佐する知識をどう得るか、カウンセラーか?
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健康な体から健康な臓器を抜き取るという事が実際にあるので、
このとき思春期の子らに間違って考えを錯覚させてしまって考えを植え付けてしまうような教育結果が存在したとしても、その教育が間違いか正しいか検証できない。そうしたら結果に対して正しかったのだと錯覚するか、自分で選んだのだから間違っていないと錯覚する可能性が大きいのではないか?
科学的に一人に一つの人生であるから手術した場合としない場合での別々の結果を比較検証ができない。
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当事者の持つ違和感は実際にどの程度の苦痛なのか、
例えば、私自身が私の体に対して抱く違和感と彼らとの差は?私自身が社会に対して抱く違和感との差は?
他人と関わる事で生じてくる意識の変化なのか、ただし身体感覚と意識のズレは確かにありえると思う、
臓器が痛みを発しているのであれば取り除くだろうがそうではないだろう。
身体感覚と意識のズレという問題であれば、それを「性別」という枠を当てはめて考えるのは一旦やめよう。「身体感覚と意識のズレ」として考える
私も絶対受け入れがたい物があるからそれと同じレベルだとして、
私はそれを日本から根絶してほしいと願うが叶わない願いなのだ。他の方法で解決するか身の回りだけ何とかするしかない。
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若いときは強迫観念が強烈なだったが年を経るごとに、そういう生命力があったんだなと感じる。その強迫観念ていうのは思い込みだったり他の解決策を知らず実行できず協力者がいないとか人生でどうしようもない事だったりして、そのために法律を変え社会を変えって、
共感が得られるほどキャッチ―なフレーズが思い浮かばないね。もしその「性別」のようにキャッチーなフレーズがあったら飛びついていたのかもしれない。分かり易いキャッチーなフレーズだったらメディアを賑わせていたかもしれないのに。
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教育
「人は先天的に異性愛者なのだろうか?」男と女が交尾を繰り返して増えてきた。同性愛やその他の性癖カップルでは子供は出来ないため少子化になります。(性癖というと怒られますが意味合い的には問題ないと思われます)
子供が外界の影響を受けて、性自認が変化したり、同性愛者になる事は十分にあると思います。それを考えれば最初に触れさせるものがノーマルでありアブノーマルな物を隠しておく事には十分合理的な意味があるでしょう。
でなければ、AVや成年向け、ゲーム、エログロバイオレンスな表現に年齢制限を入れる意味がありません。大人になる過程で耐性を付けていくというのは重要でしょう。
十代がなかなか難しい時期ですよね。友達や兄弟姉妹からの影響を受ける。ネットではエログロバイオレンスが見放題。ジェンダー問題の事も当然分かる。
昔は衆道があって、古代ローマでもゲイホモは認められていたが同時に子孫を残していたりもするわけで。
だから教育の場では一貫してノーマルの教育をするべきで、それ以外の場で人生経験を経てLGBTQIA+になっていけばよい。そこに差別はない。
18禁コンテンツを規制するように、18歳未満の者に対する同性愛の「助長」に携わった人を罰するのも検討すべきだ。個人が自然にそうなっていくのだ、メディアの影響を受けて変質するという事をもっと恐れるべきだ。
コミュ障、陰キャ陽キャ、性癖や性格が遺伝子で決まっているとしても、友達やメディアからの影響は受ける。薄い本で性癖を拡張するなんて当たり前の時代だから。
本質は今ある差別が何か、性に起因する差別なのか見極めて解決していく。
子供が受ける性に関する影響は制御不可能だ。変態、性癖、Youtubeでネタにされるセンシティブワード、下ネタ、精通や初潮の時の思い出、社会風俗によって知識を得るが、その範囲が無限に広がった。変態性癖が当たり前になっても、男女の営みが中心にあり続けられるだろうか?
将来を考えて規制ルールを敷くのは非常に合理的。
差別は無くせるかという問題については、いじめは無くせるかと問うのと同じだと思う。差別もいじめも無くさなければならないのだ。
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