人生に無駄はない
あと2ヶ月ほどで53歳になる。
同学年の4月生まれはあと3ヶ月で54歳。
3月生まれは得をしていると言われがちだが、年齢を聞かれた時には「53歳の年」という言い方をする。「昭和46年の世代」とか。
学生じゃなくなってから学年で言うようになったんだな。きっと。
だいたい「何歳?」って話から「中学▪高校どこだった?」からの「じゃあ○○って人知ってる?」って流れになる。
中学は同学年約400人、高校は約500人。
中学は小学校も同じ人もいるため、大体はわかる。
高校になると、同じクラスでも接点がないと覚えていない人がいっぱいいて知らない人が多い。
22歳の頃、理美容仲間から紹介された男子が同じ高校の同じ学年だったのに、全く見た事がなかった。
理美容仲間の男から「藤井フミヤにそっくりだから!」と自信満々に言われたもんだから、彼氏と別れて傷心な私は期待を胸に会うことにしたのだ。
似てはいなかったが、一般的にはイケメンとされる人だったと思う。多分。
同じ高校で同じ学年だからといって、話が合うというわけでは決してないのだなと学んだ。嫌だった訳ではない。合わないだけ。
その彼も彼女にフラれたばっかりで寂しかったらしい。そしてお互いに元カノ、元カレへの未練があったということが分かって2回目のデートで終了。
うっかり私が元彼の名前を言ってしまったという、ありがちな、ドラマチックな出来事のせいでもある。
こんなエピソードはさておき。
19歳の時に朧気に【誰でも集まれる場所】を作りたいと思った。今どきで言う【居場所】
託児所付きの美容室も、まだなかった頃に「独立して託児所付きの美容室作ろう」と、卵巣嚢腫で入院中に計画していた。
【居場所】にしても「それ私がずっ〜と前から考えてたやつぅ〜!」と思うけども、いやいや、きっと私と同じようにずっと前から考えてきた人が実現したというだけなんだよね。
実現するには、やる気元気だけではダメ
実際、私は3年前に現実的な行動を起こして会社設立寸前まで行ったが、私を利用しようとしていた女が他で詐欺行為となることを行っていたため警察に報告して、彼女からの関係者全員に連絡した。
彼女は私が何を言っていたのか気になって仕方がなかったらしく共通の知り合いに聞きまくっていた。
「私はブロックしてないんだから直接連絡してこいって言っとけ」
と伝えたが、あちらがブロックしたご様子。
そのまま会社設立してしまっていたらヤバいことになっていたんだなと思うと、ホントに『守られている』ということが実感できる。
「ダメだよ!」のサイン
そんな時は必ず『足止め』される。
熱が出たり、急用が入ったり。
逆に「行きなはれ!GOGO!」のサインは
予定が急に空いて、なんだかそっちに行きたいなって場所に行ったり、友達から連絡が入ったりして自然に良き方に流れる。
「今だよ!」の時と「今じゃないよ!」の時。どちらも自分の歴史を振り返ると、全て導かれるまま。
その「今なのか、今じゃないのか」を受け止める勘を磨くのは大事。
私の歴史
幼児時代になりたかった職業は保母さん。
小4で父を亡くし、それを機に「手に職」を考え美容師を選んだ。
小6で卓球と出会い、高校はやるつもりもなかったのに主将までやり計7年。まさかその私が大会開催に至るとは誰も思わなかった。
美容師になり、バブル全盛期の恩恵に預かり、バブル崩壊後の低所得も経験。
美容師になったおかげでたくさんのお客様と出会い、合コンのおかげで友達も増えていった。
ノストラダムスの大予言を信じつつ、これを越えたら独立しようと思っていた矢先、なんとビックリ、子供ができた。デキ婚。
独立をとるか子供をとるかで子供を選び専業主婦の道を進む。
産まれて2週間で高熱を出し、生後2ヶ月で川崎病に罹った娘。その後も3歳でリンパ管腫、4歳でアデノウイルスでの入院。
病気に詳しくなり、偽医者WAKUとして活躍(仲間内で)
2人目が産まれて2年後にメニエール病発症。
そのおかげで整体の先生からの教えで体質改善をガチで始め、1年で自然に10kg落ち、体温も少しずつ上がっていった。今はこの頃よりも2℃高い。
高校時代の部活の後輩、美容室の後輩、上の娘、、、、軽度知的障害の人達の教育担当をしたおかげで、障害者施設での卓球大会などに参加できているんだと思う。
そして今。
小学校のボランティア、障害者放課後デイとのご縁をいただいている。
長くなってしまったが、何が言いたいのかというと
人生にひとつたりとも無駄は無い
ってことだ。
☆正負の法則★
上の娘を育てることは私の歴史上何よりも大変な課題だったので、泣かない日はなかったし「愛情」なんてものがなんなのか、分からなくなっていた。
だからこの頃のことがすっぽり消えて記憶喪失状態。
でもこの課題をクリアせず逃げてしまっていたら【今】はない。
いわゆる【目標】を設定しても
「今はダメよ!」の時は無理に達成しようとせず、内容の見直しをしながら地道に準備をして機が熟すのを待つ。
私は多分、予想だけども
60歳には
【学校的な居場所】を作っている。
ぽかぽかルームの子供たちに「私が学校作るよ!」って言っちゃったし(笑)
そしたら2日の日に十数年ぶりに会った友達から「学校作るんじゃない?」って言われ、
「そうなのよ!作ろうと思ってんのよ!」なんて会話になったし。
本当の意味での【人生の学び舎】ができることであろう