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小学校の同級会

毎日毎日、感動的な事が続いている。
お盆休みの連休、11日に参加した卓球大会に始まり、13日14日15日と三連チャンで帰省組と会合。最終日に左のおケツを大打撲して終了(ฅ д・)ゞイテテ…


1984年(昭和59年)卒業生

14日が同級会だった。
小学5▪6年の2組の仲間達12人と、5年の担任である伝説の教師&6年の担任(卓球クラブ創立者)の14人が地元の仕出し屋に集合。

43歳の時と45歳の時にもここでこのクラスの同級会をしたので、今回で3度目。仲良しクラスなのだ。

メンズが3人プラス先生2人だけだったので、勝手にメンズに役割を振り分ける。

準備

一ヶ月を切った頃「そろそろ細かいこと決めようよ」ということで、友達んちに集合。

こんなことが無くてもちょくちょく遊んではいるんだけど、盛り上がって終わるから肝心なことは決めていなかった。

さすがに今回はちゃんと詰めなきゃだよ!と言いつつも、やはり昔話などで盛り上がる。笑っぱなし。

ふたりが帰らねばならない時間が迫ってきて「だからさ、決めないと笑」とようやく肝心な話をし始めた。

朝9:00集合で14:00までの間、散々喋った挙句、ほんの15分程度で詳細が決まる。

この状況がホント気持ちがいい。

4人集まって、4人がそれぞれの意見を出して誰がまとめるということも無く、妥協するとか気を使うとかいうこともなく、自然にサクサクッと流れるように決まっていく。

幼なじみだからなのか。それだけでは無いと思う。皆が「軸」を持っているからだ。

当日

昼12時開始。準備のため11:40に到着。
うちから徒歩30秒の所にある仕出し屋。

既に3人が到着していた。

「はい、準備するよ!」と声をかけ、まずは席を決めるクジを作る。

先生へのプレゼントの包装を1人に頼み、席に置くために一人一人の名前を書いてもらう。文字関係はいつも同じ友達(書道5段)

長テーブルで7×7の席。
私は右耳が聞こえないため、右端の席にしてもらった。

東京から帰省組の日中貿易の社長が来たのでいきなり「開会宣言やって」と振る。

乾杯の音頭は幹事代表のメンズ。

私が総合司会なのではあるが、これといってやらずに済むという仲間達を眺めてラックリしていた。
 
「1人一質問を2人の先生に」という宿題を出し、事前にまとめてノートに書いたものを私が読むというコーナーを作った。

先生の答えに対して、ただ聞くだけじゃなく自由に突っ込んでいく皆。

1人だけ、宿題をやらずに遅れてきたメンズに

「では、宿題をやらなかったTくんから、いちばん盛り上がる質問をして、うまく締めるように!」

とパスを出し、そのパスを見事に受け取りシュートしてくれた。

一番端から13人を眺め、美味しい料理と友達の家から持ち込んだ地元名産の枝豆に、冷酒を飲む。

最高だな、この仲間!

全員がリーダー

今回私が司会をやったのには理由がある。
6年の担任を探しあて、連絡をとったのが私だからだ。

5年の担任とは数年に一度は会っていたが、6年の担任とは私以外のみんなは40年ぶりだ。

私は卓球の関係で、高校一年の時に会っている。とはいえ37年ぶり。


年齢的に、学校で言えば校長先生なのである。そりゃ、世間的にも社長だったり部長だったりの役職がある人ばかり。孫がいるという人もいる。

だからといって、何も自分では決められないのに文句しか言わないという同世代も山ほどいる。

ところが。
この12人の同級生には1人たりともそんな人はいないのだ。お世辞と社交辞令とオブラートをもちあわせていない私が言うのだ。

なんだ、この「本物」集団は!
嬉しくて楽しくて泣けてくるぜ!

その私たちを作った、このふたりの先生が喜んでくれたこと事が、私たちの何よりの宝物だ。

「また来年も集まろう!」と県外勢が帰っていった。

その後、16:00から19:00までスナックで二次会。二次会から参加の友達が「え〜!もう帰るのぉ〜!」というので、私とその友達だけいつもの飲み屋へ。そこの常連の幼なじみと合流で22:00まで三次会。

オマケ(ケツ負傷)

調子に乗るでないぞ!という戒めのため、翌日の午後、左ケツを負傷。
その後に会った中学の仲間3人の爆笑をさらい、無問題。

「大丈夫?休んだ方がいいんじゃない?」などの優しげな言葉をかける友達などいない。

「(≧∇≦)ブヒャヒャヒャ馬鹿じゃねん!どんどん痛くなるわ〜!ウケる‪w‪w‪w‪w‪w‪」

そんな仲間が大好きだ♡♡

そんな仲間に囲まれたおかげで、おケツは驚異の回復力ですっかり完治した。

肉厚すぎて、皮膚までアザが到達しなかったと見られる。肉、ありがとよ♡




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