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自分の生い立ちも必然だと感じる

自分の病気についてと、産まれたときの事は投稿した
生い立ちについて、投稿したいと思うので書いてみようと思う

長くなりました 興味が無い方は、スルーして下さい

物心ついたときには、父の暴力を受けていた
年少くらいからかな?その前は記憶が無い

父はお酒は飲まない人で、しらふで気の済むまで
子ども達や、母を殴って蹴ってしていた
殴られて部屋の隅に逃げても、足や手を引きずられ
また殴られるが、父の気の済むまで繰り返される

母は、よく一人で家出をした 1週間から10日くらい
急にいなくなる、怖い父と兄弟とでの緊張の生活だった

小学校中学年からは、上の兄弟姉妹からも
両親がいない時に暴力を振るわれるようになった
高学年になると上と下の兄弟姉妹からの暴力を受けていた

結局、暴力は連鎖するから2人共が
父と同じような暴力だった

一人で毎晩布団の中で、中学を卒業したら死のうと思って泣いた

学校では、いつも笑顔で嘘ばかり付いていた
昨晩、父に殴られてテレビなんか見て無くても
友達に話を合わせて「おもしろかったね」
「誕生日お祝いして貰った?」
「うん、ケーキとプレゼントあったよ」
「クリスマスサンタさん来たね」
「うん、家もきた」
そう嘘を言う度に自分の胸は、締め付けられた

父は仕事の続かない人で、家は貧乏だった
お祝いも、クリスマスも無かった

結局、暴力を受け続ける人生は20歳まで続いた

20歳で家族から逃げて、暴力から抜け出した

でも嘘を重ねる人生は、社会人として働く時は必ず
嘘を言わないといけない事もあった

どんな子どもだった?お父さんは?お母さんは?兄弟は?学校は?
聞かれる度に、本当の事は言えなかった
罪悪感のかたまりで、自宅で一人で泣くことが多かった

社会に出たら自由な人生が、待っていると思っていた
実際は、社会に出ても、過去を聞かれると回答に困り
雰囲気を壊さないように、その場しのぎの嘘の生い立ちを話す

自分は精神科や心療内科に行けば、病気と判断されるだろうと思ってた

家族と何度か縁を切ったが、向こうから都合良く連絡がくる
そして都合良く使われるを繰り返した お人好しの自分だった

もう家族とは、縁を切って生きていこうと決めた時に
母から言われた言葉が「お前を探し出して、ぶっ殺す」だった

もう親じゃ無いと確信した
見つからないように、今も逃げ隠れして暮らしている

本当は、いくつになっても暖かい家族が欲しいと思う
手に入らない物は、手に入らない

たぶん自分が死ぬまで、追い求めている家族愛
だから自分の心の病気は、治らないと思っている

歳を取った兄弟姉妹が、仲良くしているのが
無い物ねだりで、羨ましくて仕方が無い

お金では買えない物もある
代替え出来ない事もある

自分の生い立ちは、変えられない
色んな痛みを抱えながら、生きている

自分と同じような経験を誰にもして欲しく無い
どんな人にも笑顔でいて欲しいと願う

できる限り人に優しく有りたい
自分が受けられなかった愛情を
分け与えて生きていきたい

まだまだ書き切れない事もありますが
この辺りで止めようと思います

拙文をここまで読んで頂き有り難うございました

#生い立ち #暴力
#家族愛 #嘘の罪悪感



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