文脈が自然と誤誘導のはたらきをすることもある
ヤフーニュースにこんな記事がありました。
「鍵をかけ忘れた住人が帰宅してみると、なぜか鍵がかかっている!」という事件です。
記事を読んだときは特段何も感じなかったんですがコメント欄を見て、これは面白い事例だなと思いました。(事件そのものにはほぼ関係ないんですが。)
記事には、こういう一文がありました。
私はこれを読んで、「被害者が玄関だけでなく窓も開けっぱなしにしていたんだな」と思いました。
コメント欄を何気なく読んでいると、私と同じように解釈して「窓も閉めていなかったのか」コメントしている人がいました。そして、それに対する返信として、「窓は犯人が開けたのでは?」というものがありました。
「ん?」と思い、もう一度ニュース本文を読んでみると、確かにそのようにも読むことができます。
「開いていた窓」というのは、「警察官の到着時に『開いていた』」ということでしょうね。それゆえに「窓から逃走した」という推論が成り立つわけです。
男が開けた可能性は十分にあります。元から開いていた可能性も消えてはいませんが。
こうしてみると、書き手は「警察官の到着時に窓が開いていた」と伝えたかったものの、読み手は
①「警察官の到着時に窓が開いていた」、
②「男が逃走しようとした際に(もともと)窓が開いていた」
のいずれかに解釈する(あるいは二つの解釈の間で迷う)ことになります。
「警察官が到着した際に窓が開いており、男はそこから逃走したとみられていて」のように書けば情報としてのあいまいさはなくなります。
それでも、男の侵入時に窓が開いていたかどうかは不明なままですし(これは文章の問題ではなく実際、不明なのでしょう)、元の文を悪文と呼ぶのはためらわれます。
「玄関のかぎのかけ忘れ」という文脈が自然と誤誘導のはたらきをする、という興味深い例だと思いました。
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