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自己紹介 【出会い】


初めまして。アーティフィシャルフラワー(高級造花)のコーディネーターをしております、嶌岡と申します。

大学生の時にお花の世界に足を踏み入れてから約30年が経とうとしています。お花に全く興味のなかった私が、母の勧めでフラワーデザインの勉強を始め、辞めようと思ったことは一度もありませんでした。何事も長く続かなかった私がここまで長く続けてこれたのは、様々な幸せな出会いのおかげです。

ここでは私がフラワーコーディネートの道に進んだ経緯を振り返りながら自己紹介をしたいと思います。まとまりのない文章で申し訳ないですが、思い出されるままに綴りたいと思います。

小さい時から、何かひとつのことを続けて頑張れたことがなかった私。唯一続けて来られたのがフラワーコーディネートのお仕事です。

遊び呆けていた学生時代、当時周りでは花嫁修行として「お茶お花」を習うのが当たり前と言われた時代でした。私も親に何度も勧められましたが「いやだ!ボクシングを習いたい!」などと言って嘆かれ呆れられていました。華道茶道、今になると身につけられていたらどんなに良かったことかと後悔していますが、あの当時の私にはそんなお淑やかなお稽古事は到底無理でした。

それでも諦めず、何か身につくものをと母親が勧めてくれたのが、フラワーデザインの資格取得でした。お茶お花よりはまだマシか、、、と渋々仕方なしにスクールに通い始めました。今思えばありがたい親心なのに、なんとも太々しい娘でした。

通い始めるとやっぱりお花の世界はなんだか華やかで私にはこそばゆい感じ。いかにもエレガントな雰囲気の先生や周りの生徒さん。あー、私この感じ苦手だなぁと思いながらも、1級資格を取ることだけを目標に、3年間通い切りました。学科試験の勉強も実技試験の特訓も、一度で受かりたいという目標があることで夢中で頑張ることができました。

無事に日本フラワーデザイナー協会1級資格を取得できたのも、母の「現実を見据えず遊んでばかりの娘になんとか一つでも身につけさせたい」という切実な親心のおかげだと本当に感謝しています。

大学卒業後は会社員(当時で言うOL)をこれまた嫌々続けていました。恥ずかしながら、コネ入社。学生時代の先輩が、立派な人脈をお持ちの親御さんに私の就職の面倒を見てあげてほしいとお願いしてくれたのです。本当に周りの方のおかげで今があります。ずっと学生がいいんだよーーとの願いも虚しく押し出されるように社会人になり、そこからが私の試練の道。
ぬくぬく女子校生活10年の私には会社生活は厳しい世界でした。これまた、毎日明日にも辞めたい気持ちで通勤。簡単な事務仕事も何度確認してもミスがあったり漏れがあったり。ある時は眠気に耐えられず、おでこでパソコンのキーボードを強打したことも。本当に使えないOLでした。唯一、字は綺麗だと褒めていただき、お祝儀の宛名書きの時だけはみんな私の元へ持ってこられました。なんとかその時だけでもお役に立てたことが救いと言えば救いかもしれません。あとは、おじさんのダジャレも意外と好きなので私だけは心から笑ってあげられたことぐらいでしょうか。とにかく会社の利益に貢献できたことは一つもなかったように思います。そういえば会社生活最後の日、上司が挨拶で「彼女は、、、」と言った後、目を泳がせながら必死に言葉を探し、見つけた!という表情で「字が綺麗でした」と絞り出して言ったのを今でも思い出します。

ダメダメOL生活を過ごす中、母の知人がフラワーショップを始めるとのこと。一緒に働いてくれないかと母を誘ってくれたものの母はお寺の仕事があるので無理(実家はお寺ですので)。ならばと娘の私に話を振ってくれました。明日にも会社を辞めたい私ですから二つ返事で快諾。気持ちはただひとつ「やったー!OL辞められる!」

書いていて情けなくなってきました。
母もさぞかし心配だったことでしょう。今や私も母親となり、ひとり娘を持つ身。良い年になった娘がこんな風だったらと思うと、、、
当時の自分に喝を入れてやりたいものです。

会社を辞めてからまもなく、オーナーとなる母の友人と2人で色々な街を歩きまわってのお店探しが始まりました。ここだ!という場所を見つけた時は本当に嬉しかったです。生花店で短期間の修行をした後にお店をオープンさせました。毎日が充実して、本当に楽しかった。お花屋さんの業界やお商売のことも、お店オープンの方法など誰にも教わらず、しかもオーナーは一度も働いたことのない主婦でした。何も知らないからこそ漕ぎ出せたのかもしれません。

近隣にオープンのチラシを広告で入れてもらったので、当日はオープン前から行列ができ、感無量だったことを思い出します。前日はほぼ徹夜でアレンジメントを作りましたがすぐに売り切れ、大きなトラブルもなくオープン初日を終えることができました。1日が1時間のように感じられました。
1からお店のオープンに携わったことは、自分の大きな自信になりました。すごいバイタリティーで無我夢中で駆け抜けた日々。業務の骨子作りや接客のことなど、意外としっかりとしている自分を発見したりして、味わったことのないやりがいを感じました。
その後はアルバイトの方も迎えて楽しく働かせてもらいました。
週2〜3回の早朝からの花市場への仕入れ、力仕事の水換え、これも嫌だと思ったことはほとんどありませんでした。新鮮な色とりどりの花に出会えるのが楽しみで仕方ありませんでした。

お店が軌道に乗ってきた頃、アレンジメントの教室も始め、その数年後には、プリザーブドフラワー教室も始めました。結局、フラワーショップ店長兼フラワーデザイン教室講師を12年務め、その間結婚を経て、出産を期にお店を去ることにしました。

独立し、今後は子育てに重心を置きながらできる仕事をと考え、技術を活かしてプリザーブドフラワーや造花のコーディネートに切り替えることになりました。独立してまもなく作品をたくさん作り、一年以内に個展を開催しました。この時も本当に充実した日々でした。

独立して早13年が経ちました。

周りの人達に支え励ましていただいて、良い出会いがあって今があります。 
ぬくぬくと遊び回っていた学生時代も、ポンコツOLの時代も、花屋で奮闘していた時代も、そして現在進行形の今も、その時々に出会いがありました。
会社員時代の上司や花屋時代のお客さまなど、今は会わなくなった方と交わした言葉が今もなお自分を励ましてくれていたり、それぞれの時期に、生涯の友人を得たり、すべての出会いが今の自分を形作ってくれました。

人生の楽しみ幸せは、出会いにあると思っています。出来事やモノ、本や音楽も同じです。
お花のデザイン・コーディネートをする際にも、花との出会い、色彩との出会い、器との出会いがあってはじめて作品が完成します。
材料を選ぶ際に不安はありません。必ず出会うべくして出会うと信じているからです。
お花や器、コーディネートにおいても、引き寄せ合うという感覚を頼りにしています。

出会いを大切に、自分の出会いの感覚を信じて、これからも出会いに敏感に生きていきたいと思います。

そして、目にした時に一瞬でも心が躍り癒しを感じていただけるような作品を一つでも多く作っていきたいと思っています。

noteでも作品の紹介をさせて頂きますのでどうぞよろしくお願い致します。


【artificial flower(アーティフィシャルフラワー)とは】
アーティフィシャルフラワーは、まるで生花のような繊細な美しさをもつ上質な造花です。
以前の造花に比べ、みずみずしい質感や繊細な色合いなど、リアルな美しさにこだわって作られています。forteでは、アーティフィシャルフラワーの中でも高品質なものを選りすぐってお使いしています。


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