中国人のメンツの世界-孫の命より自分のメンツ
今年3月の中国で、こんな事故、いや事件と言えるだろう出来事が起きた。
要約すると、おもちゃを洗うために川へ行った孫が誤って川へ転落。
子守を頼まれた祖父はスマホに夢中で気づかず、孫は溺死してしまった。
これだけなら痛ましい事故、スマホに夢中で…は批判されるべきだがどこの国でもあり得ることである。
しかし、それで済んだなら私はネタなどにしない。ここからが、いかにも中国人らしいという本領を発揮したのである。
日本の常識・価値観で考えると、孫を「殺して」おいて何をわけのわからないことを言っているのかと、怒りさえ覚えるだろうと思う。
ニュースでよく
「…などと意味不明の供述を繰り返しており」
ということを耳にするが、そのような感情を抱くと思う。
しかし、中国人の思考を識ると、この祖父の「言い訳」にははん…と反応いしてしまうのである。
中国や中国人を識るためのキラーワードに、「メンツ」がある。
「メンツ」とは漢字で「面子」と書き、19世紀のアメリカ人宣教師が記した中国学の名著『支那人的性格』(中国人の性格)(A・H・スミス著)で言語化された概念である。
スミスはメンツを最初はFaceと訳し、日本語でも「顔」と訳された時期があったのだが、スミスは書の第1章にメンツを挙げたほど、このメンツが重要であると察したのだろう。
魯迅も、
「メンツを識れば中国人を識ったことになる」(『メンツについて』)
と述べているほど、彼らの文化に何百年、何千年と深く刻まれている文化概念である。
が、上述のとおり、それが言語化されたのは19世紀と案外遅いのである。
そのメンツが、わかりそうでわからない、つかめそうでつかめない、まるで幽霊のよう。
中国世界に巣くう見えない妖怪、それがメンツという存在なのである。
「中国人にとって、メンツは地球よりも大事」
筆者は冗談半分でこう言っているが、本件も孫の命より自分のメンツの方が大事ということで、中国人のメンツ文化が如何に人々の遺伝子に染みついているか、よくわかるケースとして永久保存版としたい。
本件は、小さい命が失われる痛ましい事故ではあるけれども、中国人のメンツとはどういうものかを示す貴重なケースとして、中国人を認識し、理解するにはうってつけのケーススタディーなのである。
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