[子持ち様」と「子無し様」のヒエラルキーの変動に関する考察
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ちなみにサムネ画像の引用元はhttps://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html 厚生労働省 図表1-1-7 2023.12.11)
近頃、Xにてこういう言説が流行っている。それはこのようなものだ。
「日本は少子化が進み、どんどん状況が悪化している。生活基盤が壊滅し、インフラも危うくなっていく。だからその維持に役立つ子供を持っている人間の価値はどんどん上がっていき、子供を持っていない人間の立場は相対的に弱くなっていく」という言説である。
こうした言説の主な提唱者を(あえて)挙げるとすれば、やはり今をときめく文筆家、白饅頭氏だろう。現に白饅頭氏のノートを見て、また実際にXにて白饅頭氏と対話したことで生まれた視点をもとにこのnoteを書いているぐらいなのだから。彼は、ちょっと前に「子無しがマジョリティになるので子持ちへの優遇は難しくなる」というnoteを書いていたが、「生活基盤の崩壊」を理由に変節したようだ。
だが、私はそういうシナリオが日本で起こるとは、考えていない。
まずその理由として、韓国を挙げたい。
韓国は日本以上に少子化が進んでおり、本来なら日本どころか、ハンガリーのそれすら上回る急進的な少子化対策が必要だろう。しかし実際の韓国において、子供手当の拡大どころか、独身手当の支給をする企業が出てきている。
要は独身が多く、子持ちが少ないため、子持ちへの支援などを行うことはできず、むしろ独身への支援をしなければならないほどの状況まで追い込まれているということである。少子化が、生活基盤の壊滅、及び供給毀損などから子持ちの地位を引き上げるというのが本当なら、韓国のような事態は起こらなったはずだ。つまり、生活基盤の壊滅などがあるとしても、支援は多数派にされるのだから、少子化を理由とした子持ちへの優遇はいずれ不可能になるし、ましてや子持ちの地位向上など夢物語でしかない、そう予測することは、非常に簡単である。
また、違う観点からそうした少子化による子持ちの地位向上、及びマジョリティとなった子無しの発言権拡大、及び少子化対策の縮小が起こるという予想を否定する人もいた。
それは「確かに子無しがマジョリティになることは間違いない。多数派が政治を牛耳ることが多いのも間違いない。しかし、たとえば社保改革など、それを主張する人たち自身は少数派でも、多数派が合理性を優先してそれを実行することが出来ることはあり得る」というものである。
確かに多数派の論理が必ずしも適用される訳ではない。「社保改革」などは、まさにそういう議題である。合理性が優先されることも、確かにある。しかし、問題は、
そもそも少子化対策にほぼ効果がないことなのだ。
もちろんそれらが多少出生率を上げることはあるが、少子化解決には程遠い効果しかない。
現に世界で最も急進的な少子化対策をしていると言っても良いハンガリー(子持ち夫婦への住宅補助金や、4人以上産んだ女性への終身免税、フェミニズムの否定、ジェンダー教育を「ピンク教育」と位置付けるなど、正直日本でそんなことしようものなら『女を産む機械として扱っている』と批判を受けてもおかしくないレベルの少子化対策を行っている。)の出生率は、なんとたったの1.6程度。
ハンガリーより遥かに規模の小さい少子化対策しかできないであろう日本において、少子化対策の少子化解決における効果はさらに小さくなると見るのが普通であり、「子無し様」が合理性に基づいて歯を食いしばりながら少子化対策に賛成したとしても、はっきり言ってその我慢の苦しさから考えれば、「しょぼい」としか言いようのない結果しか出ないため、結局「子無し様」たちは安心して一度は賛成した少子化対策に反対することが出来るようになると考えられる。そうなればもうあとは多数派の論理に打ち負かされ、「子持ち様」の立場は嘘のように弱くなっていくだろう。
合理性による多数派の原理の打倒は、「そもそも少子化対策自体が合理的でない」という理由から夢と終わる。そう考えれば、前述の「日本は少子化が進み、どんどん状況が悪化している。生活基盤が壊滅し、インフラも危うくなっていく。だからその維持に役立つ子供を持っている人間の価値はどんどん上がっていき、子供を持っていない人間の立場は相対的に弱くなっていく」という言説は成り立たないと考えるのが妥当だ。
そもそも本当に社会の持続可能性を基準にして政治が行われるなら女性の社会進出など政府は促さないし、それを担保する人間の立場が強くなるなら、なぜ若者の地位は高くなっていないのだろうか、という話になってくるであろう。それに他にも例えばコンビニ店員なんかも正直社会維持には必要不可欠であるし、建設業などの肉体労働なんかも近年急速に必要性が増しているはずであるが、大して地位は上がっていない。
そう考えれば、やはり前述の言説は「本当に頑張っている人間が最も認められるべき」という公正世界仮説によって導かれた言説と見る他なく、
実際に起こることは、
「子無し様が多数派の論理で政治をジャック。何とか少子化対策拡大に乗り出すもしょぼすぎる効果を理由に打ち切りに。結局子持ち様の地位は向上するどころか低下し、生活基盤の壊滅については見ないふりを決め込む。」
みたいな感じになるんだろうと思う。
このような話題における問題は「立場がその人間の価値というより、多数派を握れているかで決まること」「子孫生産が個人の意思に左右されること」の二つだ。
前者のせいで少数派たる「子持ち様」の立場は弱くなっていってしまい、後者のせいで「子無し様」の我慢の下「子持ち様」に支援したとしても、結局大した効果が出ないため、「子無し様」は安心して「子持ち様」への支援に反対できてしまう(合理性の観点からも、「子持ち様」優遇に反対できてしまう)。
つまり、「子持ち様」「子無し様」の枠を超えた、「異次元の」ではなく、「新しい」少子化対策こそが、現在の日本の状況を改善していく上で必要な施策なのである。
私がこのnoteで提案したい「新しい」少子化対策とは、
ずばり、「人工子宮」だ。
これでもって子供を機械的に大量生産し、必要十分量の子供が、常に社会に供給されるようにする。いわば管理通貨制度の考え方で、自由意志に任せていては必要十分量は確保されないため、政府がそれを生産するべきだ、ということである。
これに資源を投じ、「人工子宮」を実現することができれば、少子化は絶対に解決する。なぜなら政府が作りたいと考えただけ、子供を生産することができるからだ。そうすればもはや「子持ち様」と「子無し様」の地位関係などなんの関係もなくなるはず。そこの関係に関係なく、つまり民意に関係なく、ただ社会にとっての必要十分量の子供を供給するだけで少子化対策が終了するからである。両者の間のいざこざなど、議論するまでもない「コップの中の嵐」に成り下がる。
社会の持続可能性も、完璧に維持できる。「子供不足で生活基盤が壊滅」などということは、絶対に起こらないからだ。
本当に求めるべきは、本当に議論するべきは「人工子宮」による少子化対策なのである。
「人工子宮」こそが、この日本に最も必要な少子化対策であるし、それこそが問題を解決し得る。私はそう信じている。
最後に私がなぜこのように「人工子宮」を推すのか、その基本的考え方を記したnoteを提示して、終わりとしたい。
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