見出し画像

つれづれ小説エッセイ ~情景描写①~

 情景描写は何をどれくらい書けばいいのか?

 私は小説を読んでいるとき、情景描写を読んで風景を思い浮かべる。その際書いていない情報は、自分がすでに知っている「似ている場所」の要素を使って補う。

 例えば、『温泉旅館』が舞台として出てきたとき、私は自分が行ったことのある具体的な温泉旅館をベースとして思い浮かべる。そこに小説内で描写された情報を追加し、より詳細な情景を頭の中に描こうとする。

 この読み方をしている人間なので、書くときもこの読み方を前提として描写を行う。

 まずは読者が記憶を想起させるために使える単語をポンと出し、次に読者と最低限共有していたい情報を描写として書いて想像した場所に付け加えてもらう。

 こまごまとした手法としては、

・外側から内側に向かって書く
・全体から細部に至るように書く
・最後に描写全体をイメージとしてまとめ、補強する
・キャラクターの動きを交えながら描写を行う
・カメラ(視線)の動きを追う
・五感を意識する

 ……というようなことを行っている。

 例えば以下の描写。

 香港は湿気の多い気候だ。特に春頃は雨季にあたる。
 オリヴァーと別れて店から出ると、夜の東龍慶には濃い霧が降りてきていた。赤や緑、黄色のネオンがぼやけ、通行人は雲の中から次々と浮かび上がってくるように見える。
 料理を蒸す匂いと人の汗の酸っぱい臭いが霧に混ざっている。胴体に大きな画面が埋め込まれた広告ロボットが、派手な広告を目まぐるしく点滅させながら、香港で流行っているらしいアップテンポな曲を音割れの大音量で流している。

拙作『蟷螂と極楽鳥』

 徳華は目を開けた。
 彼以外誰もいない応接間で、端末のバイブ音が鈍く響いていた。取り出して部下からの報告を受けると、彼は一言返事をして通話を切った。
 座っていた一人がけのソファから立ち上がり、窓の近くに寄って、夜の東龍慶を見下ろす。赤や緑のネオンが所狭しとひしめき合い、車の赤いバックランプが生き物のように蠢いている。湯気の立ち上る露店の天幕から人々の頭が盛んに出たり入ったりするのが見え、熱気がここからでも感じ取れる。

拙作『詠貧士』

 上は五感を意識した例、下はキャラクターの動きを交えた例だ。

 どれくらい書けばいいかという『量』の問題に関しては、自分が「必要十分だ」と思える程度の量を肌感覚で書いている。紙幅を取ることもあるが、ぜひ描写したいと思ったものを舞台として設定しているため、ここぞという時に描写しなければ消化不良になってしまう。

 ただ頭に置いておきたいのは、読者は往々にして情景描写を嫌うことが多いということだ。人によっては「あ、描写だ」と思った途端に脳が読むのを拒否するそうである。

 原因としてはやはり、そこで物語が一時停止してしまい、テンポが悪くなっていることや、難しい単語が使われていること、背景をイメージするには会話をイメージするよりコストがかかるということが挙げられる。

 セリフというのは読みやすい。読みやすいというのはすなわち、理解にコストがかからないということだと思う。脳科学的にどうなのかは知らないが、人間は『他人の言っていること』は注視する傾向にあるのではなかろうか。知らんけど。

 描写はその点読みにくい。だから、長々と書けば書くほど読んでもらえない。もはや読まれない前提でいる必要さえある。

 だが、それでも読んでもらうには、どうしたらいいだろうか?

 私は読んでいて楽しい文章にすることや、物語の流れを止めすぎないこと、難しい単語を使いすぎないことを意識している(むろんできていないこともある)。

 すなわち、読者が読むときに払うコストを最小限にしようとしている。リズム感のいい文章を書こうとし、描写の最中にもキャラクターを透明にせず、比喩を用いて読者の理解を助け、頭の中で画像化・映像化しやすいように、自然な視線の流れを追って描写をする。

 以上が現在心がけていることだ。

 次回はもっと概念的な話をする。




 今回例文を出した小説はこちら↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?