つれづれ小説エッセイ ~情景描写③~
んで。ものすごくものすごく具体的には何に注意を払うか、である。
情景描写①のnoteでこまごまとした技法に関しては述べたが、さらに踏み込んで、自分が描写をするときに何をやっているか振り返ってみる。
拙作『蟷螂と極楽鳥』において私は、1994年に解体された香港の九龍城を題材にした小説を書いた。
九龍城というのは、ちょっとニッチでカルト的な人気のある違法高層建築群・スラム街のことだ。一部の界隈にとってはロマンの塊であり、九龍城を題材にした作品はチラホラ見かける。
九龍城の写真を少し検索してもらうとわかるが、非常に情報量が多い。また、現存しないために新しい資料が存在しない。
ウェアハウス川崎というゲームセンターの内装が九龍城を模したものだったが、これは悲しいことに2019年に閉店してしまった。当時の私は川崎に行ける状況ではなく、実物どころか『実物を模したもの』にすら触れる機会を得なかった。
さてこの状況で描写のための資料に何を使ったかというと、もっぱら本と動画、あとはゲームである。
本は九龍城に関するルポルタージュや写真集、図解本がある。手の届く範囲のものを参照した。動画はyoutubeにウェアハウス川崎を歩いて回った動画を撮影してアップロードしてくれている方がおり、こちらの動画を見た。ゲームに関しては『クーロンズゲート』や『シャドウハーツ』などを参照している。
さらに手を広げた先は、香港への旅行記や旅行ガイド、広東語会話の教育動画である。これには理由が複数ある。
1つめは私が「〇〇は広東語で言った」と記述した時に、実際に登場人物が広東語で話しているところを想像しながら書けるようにだ。欲を言えば「日本語にこの語彙はあるが広東語には存在しない」というような部分にも気を払いたいのだが、これを気にしすぎると永遠に小説が書けない。
余談だが、登場人物が日本出身でない場合や、使う言語が日本語でない場合は、破綻が起きやすいので気を遣う。自分が当たり前に使っている言葉の裏には、文化が根ざしている。英語に「いただきます」に相当する表現は(あんまり)ないし、カトリックは通夜の風習が(もともとは)ない。英語で話しているはずなのに四字熟語が出てきたり、日本語の言い回しでことわざが出てくると、途端に「台詞を書いている作者」がキャラの後ろに透けて見えてしまう。
2つめは、例え描写に書かれない部分のことでも私はわかっていないと、描写が書けないからである。
どういうことかというと、例えば飲食のシーンにおいて、メニューはどんなふうに書かれているのか。机に置いてあるのか、店員が出してくるのか。出てくる料理はどんな形をしているのか。どんな味がし、においがするのか。店員はどのような格好をしているのか。名札はつけているのか。持ってくるまで時間はかかるのか。料理にお金はどのくらいかかるのか。コインは、紙幣はどんな形をしているのか。食後にお金をはらうのか。店内は暑いのか涼しいのか。音楽はかかっているのか。椅子の材質は……etc。
その場所に実際に行っていたのなら、これらの問題は全て回答できる。だが私は実際に香港に行ったことがないので、想像がつかない。想像がつかないなら、(私は)描写できない。
逆に言えば、「その場所に行った時に知覚するであろうもの」の項目をおおかた埋めることができるなら、実際に行かなくともある程度は実感を伴って書くことができる。
実際にやっていなくともそれについて書かねばならないということは、創作をする上でよくあることだ。ミステリ作家は大量殺人犯ではない。
そんなわけで、『地球の歩き方』シリーズなどもふむふむ読んでいたわけだが、ここで1つちょっとした矛盾が出てくる。
ここまでリアル志向であるならば、ウェアハウス川崎やゲームにおいて美化・理想化された九龍城も描写に入れこむのは違うんでないの? という。
…………。
そ、そうなんだけどね?
当たり前だが、美化されたもののほうが美しい。そして『憧れ』が入ってくる。多くの場合、美化されたもの=期待されたものなわけで、最初に私が対象にするであろう読者層の中には、この美化されたほうの九龍城が出てきたほうがウレシイ人が多そうなのだ。
それに結局のところ、私の描く九龍城は、どんなに本物に寄せようと願ったところで、理想化を免れない。私は九龍城に住んだことがないし、行ったこともない。
ならばもう開き直って、リアルさを追求しつつも、美しいものを混ぜ込もうとしてもいいのではないだろうか。
むろん理想化したことで、事実から離れ、誰かを、何かを傷つけたり侮辱してしまうかもしれないから、これは注意せねばならない。何事にも問題は発生しうる。何もかもを理想化していいとは全く思わない。
だがもう解体されて約30年経っているもののことを、ちょっとクールに書いたからといって、罰は当たるまい……と思ったのだった(しかも作品の内部では『第二の九龍城』を作っているので、厳密にいえば九龍城を書いているわけではない)。
……。
現存しないって便利だよね。
↓そんなわけで『第二の九龍城』が出てくる作品はこちらです。
↓スピンオフ作品なのでこちらにも『第二の九龍城』が出てきます。
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