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ポケモン映画『水の都の護神 ラティアスとラティオス』感想・妄想考察

 再上映されたのを見てきました。初めて見たのが小さな頃で、それからも何度か見てきましたが、映画館はやっぱり音も迫力も違いますね。作品とだけただ向き合える時間。めちゃくちゃよかったです。

 今回、一般的なラティオス&ラティアスと区別するために、映画で活躍するラティオスを兄ラティオス、ラティアスを妹ラティアスと表記します。ラティといった場合は2種族を指し、ラティ一族などと言った場合はラティオス&ラティアスたちの群れのことを指します。

 今回は、開発者の発言などは抜きにして、ただ作品だけを見たときに考えただけの妄想です。ネタバレあるので注意!


最初の感想 ー主人公は誰か?ー

 

 やっぱいいわ……………………。

 『水の都の護神』、幼少期に様々なヘキの元凶となった映画です。

 今になって見てみると、色々と異色な映画だなあと思います。まずポケモンが死ぬこと。次に、街の描写にかなりシーンが割かれて、幻想的・神秘的な雰囲気に終始すること。あとこれは偏見ですが、サトシくんの活躍が比較的おとなしい映画だなと。

 ポケモンの死については、あとでくわしく書いています。

 改めて見てみると、舞台であるアルトマーレの描写がかなり多いんですよね。最初のボートレースでまず曲がりくねった水路を描写し、妹ラティアスを連れての逃避行シーンでは、サトシ目線の街並みに加えて、ピカチュウ目線の街並みまで描かれている。その後も、主観的な路地描写がかなり出てきます。CGを使いたかったのかな?

 他のポケモン映画と比較しても、ここまで街並みの描写に力が入っている映画は珍しいんじゃないでしょうか。デオキシス映画やダークライ映画も舞台の描写は多かったですが、あれが俯瞰での描写が多いのに対して、アルトマーレは個人の視点から描かれているものが多いなと思いました。おかげでアルトマーレの幻想的な感じが出て、ラティたちの神秘性とうまくマッチしていますよね。

 また、サトシくんの活躍が大人しいということに関して。今作のサトシくん、妹ラティアスに助けを請われて、ちゃんと助けに行くんですが、手持ちのポケモンを置いていってしまうので、他のポケモン映画である「手持ちの活躍!」があんまりないんですよね。そのぶんピカチュウというよりは、妹ラティアスの活躍が必然的に多くなります。

 今回サトシくんは、八面六臂の超人的活躍を見せる少年というより、妹ラティアスが「私がしっかりしなくちゃ!」と決意するための、弱い存在として描かれている印象を受けました。妹ラティアスの覚醒シーンが多めで、サトシくんは要所要所でド根性を発揮して困難に体当たりはしていくんだけども、実質的には妹ラティアスの能力が突破口になるシーンが多いです。

 正直、アリアドスやエーフィを誰かにおさえてもらえれば、妹ラティアス単体の能力だけでもどうにかなったシーンもあると思います。それくらい、今作はラティたちがメインになっています。

 さらに、最後の大津波のシーンでは、サトシくんはもうなすすべなく見守っているだけになります。そらそうなんだけども。だって10歳の少年よ。

 他の作品のサトシくんは、神にバカヤローと言ったり、空中の小さなブロックに次々と飛び移ったり、よく世界や街一つ救っているので、津波に対して何もできないのは、今思うと若干大人しすぎる気もします。

 これもやっぱり、ラティ兄妹が主人公になっているからではないかと思っています。

 総括すると、この映画の主人公はサトシくんというよりは、ラティ兄妹なんじゃないかなあと思うのです。他の映画を見るに、サトシくんが主役の伝説のポケモンをさしおいて大活躍しているものもあるので、ここまで完全に主役を明け渡している作品は珍しいんじゃないかなと(私はサトシくんが活躍するポケモン映画も大好きですよ)。


なぜ兄ラティオスは死なねばならなかったのか?

 

 私は兄ラティオスが大好きなので、ザンナーとリオンが出てくるたびに複雑な気持ちになっていました。彼女らのせいで兄ラティオスが死んだんだ、という印象が子供の頃から植え付けられていたからです。

 ただ見直してみると、まあ確かに間接的に兄ラティオスの死には関わったんだけれども、兄ラティオスの死にはもうちょっと深い事情がありそうだなと思うようになりました。

 まずザンナーとリオンの襲撃時、兄ラティオスは妹ラティアスをかばって、何回も攻撃を受けています。捕獲網も二重に受けていますし、この段階でかなり傷を負っているのは間違いないです。

 その後、装置に閉じ込められて、力を吸い取られているような描写があるので、弱っているところをさらに痛めつけられています。

 救出された後、ふらついている描写もあるので、この段階でもうかなり弱っています。ポケモンセンターに行ければよかったんでしょうが、ダメ押しになったのが津波を止める大突撃だったのでしょう。

 じゃあどの段階で兄ラティオスの死が確定したか考えてみると、やっぱり津波を止める大突撃だったのではないかと思います。ボンゴレの「ラティオスが街を救った」というセリフ、これは一緒に突撃している妹ラティアスを目の前にして、なかなかひどいセリフだなと思っていましたが、妹ラティアスがぐったりしていながらもほとんど外傷がないのは、津波を打ち消す際に兄ラティオスのほうが力を発揮した割合が大きかったのかなと考えました。

 なぜそう思ったかというと、ラストで妹ラティアスと思わしきラティアスが2体の別ラティオスと飛んでいるのです。これは制作側からすると「今までの兄ラティオスとは別ですよ」と明確に描写するためのものだとは思うのですが、ここはあえて作品に寄り添って考えてみるなら「従来のラティオスが2体ぶんの能力を持っていた」とするのも面白いかなと思いました。

 兄ラティオスがすごく優秀だった=能力が高かったため、後継にはラティオスが2体必要になった、ということです。これはかなり兄ラティオス好きの妄想が高じた贔屓目かなとは自覚していますが……笑

 妹ラティアスも道中で再三攻撃を受けているので、津波を止めるときに力を発揮すると、2体とも死ぬ可能性があった。だから、兄ラティオスは妹をかばいつつ、己の高い能力を十二分に発揮して、妹のぶんも力を使った(使えるほど能力値が高かったのが仇となった)んじゃないだろうか、と思いました。これが一番エネルギー放出量が大きく、致命的なダメージになったんじゃないんでしょうか。

 兄ラティオスはその後、こころのしずくになります。これも死の理由に関係しているとするなら、こころのしずくを作るために兄ラティオスはあえて犠牲になったと考えることもできるのですが、私は違う説をとってみたいなと思っています。こころのしずくとラティ一族の関連については後述します。

 ともかく、リオンは学者肌で、好奇心に抗えなかっただけで、あんまり根っからの悪人には見えないんですよね。悪気がなかったとはいえ、やってはいけないことをやってしまいましたが、ポケモン映画にはもっと性悪な人間もたくさん出てくる中で、「悪しき心」と完全に言えるまで悪とはあんまり思えないんです。

 たぶん、津波さえ来なければ、ラティオスは死ななかった、そしておそらく兄ラティオスの無茶自体が一番の死因だろう、と思うので、ザンナーとリオンばかり恨んでもいられないなというのが直近の感想です。

 

こころのしずくって結局なんだ?


 前述のとおり、この作品は「兄ラティオスが失われたこころのしずくを新しく作るために、あえて犠牲になった」と考えることもできると思います。以前までは私もそう受け取っていました。

 ただ、もうしばらくこの作品に漬かっていたくて、わざと小難しく考えようとした時に、「そもそもアルトマーレに伝わる伝承はどこまでが真実なのか?」という疑問が浮上してきます。

 ※ここからは考察というより、本格的に根拠の乏しいただの妄想になってくるので、苦手な方はご注意ください。

 結論から言うと、アルトマーレはラティ一族の墓の一つであり、アルトマーレに住むラティは墓守であるこころのしずくはラティが死ぬとできる結晶であり、それ単体でラティに力を与える動力源のような役割を持つ。……というふうに私は妄想しました。

 順番にいきます。まず「伝承はどこまでが真実か」という観点。

 これは「部分的に人間側に都合の良い部分があるが、かといってラティたちにひどい仕打ちをした黒い事実を隠ぺいしただけのものでもない」と思います。

 ボンゴレがサトシくんに碑文を説明するシーンで、ラティが一緒に説明を聞いています。ラティは人間側の問いかけにうなずいたり、名前を呼ばれて反応しているので、人間の言葉をある程度聞き取り、意図を理解していると考えられます。

 もしラティ側に伝わっている話と、ボンゴレのしている話が食い違う場合、ここで兄ラティオスが何らかの攻撃的な反応をとっていてもおかしくありません。でも兄ラティオスは大人しく聞いているので、そこまでおかしな話をしているわけでもなさそうです。

 私が疑わしく思うのは、ラティが街を守るようになったという部分。最初は確かに、ラティが人間に助けられたがために、人間に被害が出そうになった際、仲間を呼んで守った、という事実があったのかなとは思います。ただその後、人間のためだけにラティが街を守るというのは、個人的には違和感があります。ラティにはラティなりに、アルトマーレを守る理由があるのではないかと思うのです。

 そこで頭に浮かぶのはこころのしずくの製造過程です。最初にできたこころのしずくは、ラティ一族が街を守った際に出た戦死者ラティの遺骨みたいなものだったのではないでしょうか。これが、人間に助けられた兄妹の遺骨だったために、ラティ一族は街の人間たちに渡すことにしたのです。

 それからこころのしずくを、人間たちが大切に守ってくれるようになったものだから、ラティ一族にとって何か都合のいいことがあったのではないかと思います。ラティ一族が外敵に襲われたときに、こころのしずくを装備するとパワーアップできるから、大切に保管しておける場所が欲しかったとか。エネルギー源となる外部装置みたいな……。

 もしかするとこころのしずくは、ラティたちが死ぬと必ずできるようなものではなくて、すごく珍しいものなのかもしれませんね。ものすごく力が強いラティが死んだ時しかできないとか。何らかの希少価値があるので、ラティ一族もこころのしずくをとっておきたいと考えたんだと思います。

 最初、ラティ一族がアルトマーレを守っていたのは、人間たちを守るだけでなくて、こころのしずくを守っていたんじゃないかと思います。それから月日が流れるにつれ、ラティ一族にとってアルトマーレは、先祖代々守ってきたお墓という側面が強くなり始めた。そこで墓守のラティが選出され、交代制でアルトマーレに住むようになった。

 この説をとるなら、こころのしずくが壊れて存在しなくなったアルトマーレを守るために、ラティたちが津波に立ち向かっていった説明もできます。こころのしずくだけを守るなら、もうアルトマーレを守る必要はありませんからね。聖なる墓所を守るためだったのではないでしょうか。

 まあでも、ラティが人間を完全に度外視していたかというと、そこまでいうのは悲しすぎるので、人間を守るっていう思いも、特に妹ラティアスにはあったと思いたいです。彼女は人間に化けて、進んで交流するくらいですし。

 

ラティを利用した防衛装置の謎


 どっちかというと闇が深いのは、こころのしずく伝承より、街を守ると
いう防衛装置のほうだと思います。

 リオンに悪い心があったと思えないと先述しましたが、伝承には「悪しき心を持つものがこころのしずくを使うと町が亡びる」云々ありましたので、リオンが悪い心を持っていたと考えるのは至極まっとうです。

 ですが、もし本当にこころのしずくに善人悪人を見抜く力があったのなら、保管場所からリオンがこころのしずくを引き抜いた瞬間に、真っ赤になっていてもおかしくないと思います。

 そもそも装置がおかしい点は、ざっと見ても2点あります。

 ①なぜラティが装置から出られないのか?
 ②なぜ意識のないラティを利用しても稼働できるのか?

 ①に関しては、リオンがそういう設定をしたからだということもできますが、そもそもラティに力を貸してもらえなければ稼働しない装置に、ラティの意志を曲げるための機能が備わっている点が奇妙です。

 ②も相当おかしい。ラティの意志があって初めて動く装置ではなくて、瀕死にしたラティでもスイッチが入る装置。それは初めからそういう使い方が想定されていたのではないかと勘繰りたくもなります。

 時系列で考えると
【人間がラティを救い、恩返しとしてラティ一族がアルトマーレを救った
→こころのしずくを安置する墓として、ラティ一族とアルトマーレの人間が共存関係になる
→街が人為的に攻撃される危機、例えば戦争などが生じ始める
→ラティ一族やこころのしずくに力があることを知った誰かが、この力を利用することを考える
→防衛装置完成。権威付けのために以前ラティ一族と人間の交流を描いた伝承を利用し、碑文に残す】
 こんな感じだったのではないですかね?

 碑文に描かれていた「悪しき心が」云々の話に戻ると、これはどちらかというと「ラティを利用する罪悪感から逃れるための方便」→「装置が暴走しないということは、善なる心で装置を使っているということ」=「ラティからの許し。装置を使ってラティを利用してもOK!」というわりと汚い意図があったんじゃないかと考えます。

 作中で装置が暴走したのは、妹ラティアスが、リオンの水による攻撃から逃れるために、力を使ってからです。こころのしずくは元々、ラティ一族の存続のために用いられるものです。そしてラティの遺骨のようなものとして考えるなら、同族を苦しめるためにラティ一族以外の者に用いられた場合に、何らかの防衛機制が働いてもいいんじゃないかと思います。

 それがこころのしずくが赤く染まって、装置を暴走させるほどにエネルギーを発し、大津波を呼んだ現象。ラティ一族は空を飛べるし、水の中でも生活できるため、津波があってもさほど脅威にはなりません。

 あの大津波は、ラティ以外の者を抹消するために作られた「こころのしずくの元となった力のあるラティ」の能力なのではないでしょうか。もしこころのしずくの力が同族を害するために使われてしまった場合は、同族を守るために、防衛機制としてカウンターが発動する=大津波、という構図があるのではないかと。

 だから、ラティが「大丈夫! 自分たちは害されてなんかいないよ!」と津波を止めようとすることにより、津波は消える。カウンターを打ち消す攻撃をラティ本人がした場合にのみ、こころのしずくの暴走は止められる。

 兄妹ラティが作中でやったのは、そういうことだと考えました。

 ……そうやって考えると、兄ラティオスがこころのしずくになったのは、結果的にそうなっただけであって、こころのしずくになるために……というのではないんじゃないかと思いました。極端に言うなら、もし兄ラティオスがこころのしずくにならなくとも、あの後ラティ一族の誰かがあそこにこころのしずくを置きに来るんじゃないかと思います。ちょっとシュールですね……笑

 もしかしたら、アルトマーレ以外にもこころのしずくの安置場所(墓守としてラティを置く墓所)はあるのかもしれませんね。ラティの群れごとに一つ、そういう場所があったりして。

 

以上、妄想でした


 考察というのは非常に取り扱いが難しいものでして、争いを生みがちです。

 ただ争いの火種になるのは全く本意ではないので、改めて「本考察を書いた意図」を明記し、少しでも平和に暮らしていきたいと思います。

 本当に真相(創作者が意図したこと)に近づきたいのなら、当時の資料を取り寄せてガチ考察するべきなのでしょうが、今回私がやっているのは「映画面白かった! さいこー! もっと余韻に浸らせてくれ~!」というためのチラシ裏の殴り書きに近いです。

 だから、他の考察を否定する気も、真実にたどりつく気もあんまりなくて、謎をたくさん提供してくれた映画だからこそ、その創作者の愛の上に相乗りさせてもらい、考察という名の愛を返したいという気持ちです。

 この映画は、謎のままあえて伏せられた箇所が多いです。2体のラティオスしかり、最後のキスシーンしかり。

 映画を作ってくださった制作者は違うのかもしれませんが、私は自分が創作をしている時、読者に考察をしてもらえたら、それがどんな考察であっても非常に嬉しいです。だからこそ、自分が受け手のとき、たくさん考察をしてしまいます。

 そもそも、映画は一人で作るものではないので、脚本担当の思惑と、監督の思惑と、絵を描いた人の思惑と、どうしてもずれてくると思います。元々答えが一つしかないわけではないんじゃないでしょうか。

 繰り返しになりますが、私は「もっとも真相に近いらしい考察」を目指したいのではなく「映画を作ってくださってありがとうございました! 大好きです!! 考えたことを発表したり、ファンと盛り上がっている姿を見せることによって、少しでもご恩返しができたら幸いです!!」の気持ちをこめて妄想を書かせてもらいました! ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!!


 余談ですが、一番印象に残っているのは、大津波を止める時、ラティ兄妹が全く同じスピードで飛び、能力を発揮する瞬間です。妹ラティアスのほうが幼いし、ちょっと遅れそうじゃないですか。でも全く同じ横並びなんです。それで調べてみたんですけど、ゲームでもこの2体の素早さの種族値は、110で全く同じ(ちなみにHPも同じ)なんです。うまくいえないけど……なんかこう……よくないですか…………!?!?

 おわり。

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