発達障害で困ったので、治療を始めたレポ②
①はコチラ↓
適度に飲み忘れながら、薬を飲み始めて約1ヶ月経った。
副作用と効果の実感を記録していく。
※薬の効き方には個人差があります。
副作用
ストラテラの副作用についてはこちら↓
私の場合、『食欲減退』と睡眠障害の『早朝覚醒』が出ている模様だ。あとは『中途覚醒』があるかな。
睡眠障害に関してはこちら↓
ただ当初、どちらもストラテラの副作用だとは気づかなかった。夏バテかな~とか、冷房で起きてるのかな~、日当たりがいい部屋だから朝起きやすくていいな~、くらいにしか思っていなかった。
食後に飲む薬なのに、食べ物を食べる気がしなくて、あまり胃袋にものを入れずに飲んだら、夜中にものすっごい吐き気で起きたことが1回だけあった(マネしないでください)。
まあ昔から原因不明の胃のむかつきで起きることはよくあったから、牛乳飲んでちょっと何か食べて横になっていたら、いつの間にか寝入っていました。そして翌日普通に仕事へ行った。
あとは薬を飲んだ後に胃がもやもやするかなあ……? という程度。胃腸の弱めな人生なので、これも薬の副作用だとあんまり気づいていなかった。
効果の実感
脳の状態なもんで、薬を飲む前の状態が詳細にはわからないから、ビフォーアフターが比較しにくいのだけど……。
程度の変化があったかな、とは思っている。
どういうことかというと、例えば、
これ、今でも興味は引かれるんだけれども、直前に考えていたことを思い出せるようになった。
イメージとしては、机の上にひっきりなしに書類がドサドサ置かれていく現象は変わらないけど、置かれるスピードが遅くなった感じ。同じ時間で10束置かれるのと、5束しか置かれないのとでは、下にあるものの掘り出しやすさが違う。
これに関しても、頭の中でしゃべってる人の数が減った感じ。「もうちょっと落ち着いてくんないかな……」とゲンナリすることが減った。
それでも連想ゲームをしているところは変わらない。今でも話題が頻繁に飛ぶ。だから外から見ると、あまり改善しているようには見えないかもしれない。
あとは衝動性に関して。
これは相当改善したかな? 「強いフラストレーション」というのは、イライラする~とかそういう可愛いもんではなく、「破壊衝動すら伴う激しい怒り」なんだけど、怒りは全然わかなくなった。今度でもいっか、と思えるようになったのが非常に助かる。
先生に最近の調子はどうかと聞かれたときに、
私「ぼーっとしていることが増えました」
先生「ぼーっとしている?」
私「例えば動画を見ている時とか、今までは他のことを考えてたんですけど、動画だけぼーっと見ているようになりました」
先生「あ~、そっちのほうがたぶん普通の状態ですね」
みたいな会話をした。動画を見ている時、基本はその動画のことしか考えないものなんですな……。
今後どうするか
少量から始めたストラテラ、現在は1日あたり80mg投与している。
それで今回から「アリピプラゾール」がニューフェイスとして加わった。
先生の説明では「ストラテラの効用を補助する薬」とのことだったが、こうやって見てみるとストラテラよりだいぶリスクがありそーな薬で震える。
なぜこれが処方されたかというと、私が長年抱える抑うつ状態と、「仕事に飽きてしまい、継続することに強いストレスを感じている」ということを相談したからである。
また、以前から他の薬を併用してみようかと思っているという話はされていたので、ついにきたかーという感じだった。
アリピプラゾールの薬剤情報には「気持ちを楽にし、意欲を高める薬です」「やる気がしない、興味がもてない等の状態を改善する薬です」などと書いてある。
そんな天の助けみたいな薬が……あるんですか!?
もっと早く飲みたかったな。これがあれば今までの人生、もっと楽だったろうに(効けばね)。
何より「仕事に飽きてしまって、モチベが下がった」ということを、症状として捉えてもらえるのが嬉しかった。
この文章だけ見ると、誰にでも起こることに見える。発達障害の理解で難しいのは、「程度のハナシ」というところだ。
直前まで考えていたことを忘れてしまうとか、仕事に飽きてしまうとか、それは多くの人が抱える問題だからこそ、「それは気のもちようで何とかなる」「甘えている」と思われがちだろう。
だが問題は、程度が甚だしいというところ。仕事に行きたくないと言った時に、どれくらい行きたくないかというと、仕事のことを考えると眠れなくなるとか、休みが終わる夜に憂鬱になるのはもちろん、
①「全身が内側からむずがゆくなって、この仕事を選んだ自分に絶望し、どこから人生をやり直せば明日この仕事に行かなくてもよかったのか考え始め、ついには幼少期までさかのぼって、自分の選択の全てを否定しもはや死ぬほかないという思考にたどりついて泣きながら自傷行為に走ろうとする」という過程を、
②仕事に行く前に毎回必ず繰り返す、
という、程度の異常性がある。
私は仕事をしている人間が、みんなこうなのかと思っていた。みんな仕事に飽きが来て、仕事に行きたくないと言っている。自分だけではない。
だがどうやら、①と②をやっている人はそんなに多くはない。
弱音
自虐の公言は、同じ性質を持つ人たちに対する攻撃性をはらむ。己が生まれながら持つものに対し、全ての生き物は責任を持たない。
だから普段はなるたけ自虐を控えているのだが、このnoteは備忘録も兼ねているので、書かせてほしい。
ずら~っと並んだ薬を見て、「こんなに色々飲まないと人並の生活が送れないなんて、私の脳の初期設定はゴミなんだな」と思わざるを得なかった。
いや、そもそも人並なんて恣意的で不正確なモノとか、受け皿の狭い社会にだって問題があるとか、人それぞれ違った苦労があるとか、そんなことはわかっている。
それでも悲しくなる。愕然とする。なんでこんな社会不適合なアタマで生まれてきちゃったんだろう。薬を飲まなくても仕事を続けていける人がうらやましい。
先生には、ADHDは薬で抑えられるが、ASDのほうは薬でどうこうすることは現状難しいということも教えてもらった。ものすごくうまくいったとして、ADHDのほうがなんとかなっても、残るASDとはどう向き合えばいいのか。
それに、発達障害は遺伝的な要因が指摘されている。私が子供を作ったなら、子供にADHDやASDの特性が発現する可能性は高い。
社会不適合者をもう一人作るわけだ。
罪深いな。
今後の不安に目を向けたなら、容易に解決できない深い絶望がある。デメリットを容認するか、メリットに注目するか、いずれにせよ考え方を変えなければ逃れられたと錯覚すらできない絶望が。
一朝一夕で希望には変わらない。なんとかなった、という経験を、もがきながら一つ一つ積み立てて、過去を振り返ってみることでしか、そこに希望があったということは知り得ない。
それまでは、焦点をずらして見ないふりをしながら、忘れたふりをしながら、日々をやりすごすしかないのだ。生存に、常に痛みがともなう人は。
加齢は時に救いにもなる。歳を取って経験を積み、ある種痛みに鈍くなる日を、嵐のような日々の中でひたすらに待っている。あるいはそれも、希望たりうるかもしれない。
腐っていても仕方ない。進みましょう。
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