約束
道具から入るのは割と好き。良い道具はやっぱり使っていて気持ちが良いし、何よりそのお買い物という行為や経験自体が、思い出やモチベーションにもなるから。
いつか買おうという憧れのものは、ギリギリolive世代だったこともあって昔からたくさんあった。rimowaのスーツケース、レペットのバレエシューズ、ル・クルーゼの琺瑯鍋、ヴィンテージのタンク。20代の頃からちょっと背伸びをして購入したそれらたちは、今でもなお、むしろ一緒に過ごす年月が長くなるほど生活に馴染んでいる。
花を仕事にするものにとって、鋏は消耗品であることが多い。日々切る絶対量がとんでもないし、太い枝もたまにワイヤーもじゃんじゃん切って、クリスマスとお正月の枝物や木を解体して刃がぼろぼろになるころに、また日常使いのものに買い換える。でも、2年前から京都に通うようになって、そのたびに伝統工芸とも言える道具店を除くうちに、プライベートのときに静かに花と向き合うときのために、一丁良いものを持っておきたくなった。
京都にあるその和鋏を扱うお店は、谷雅子さんや平井かずみさんなど、この業界に居れば耳にする人たちも紹介している。そして伝統に裏付けされているなら間違いない。大凡の金額もネットで見て、去年の夏の暑い日にバスと歩いて向かったのを覚えてる。住宅街の中にぽつんとある、お店のとびらを開けるのも緊張していたせいもあって。
そもそも気になり出した頃、そのお店は休業に入って移転した。だから念願。行くしかない。予めお電話をして向かった。
対応してくださったのは、女性の方。先ず用途、使用頻度を話す。そして手を見せる。占いみたいな意味じゃ無くて、手の大きさとか幅とかを確認するために。そして出てきた4丁。試し切りをさせてもらう。
ふたつ、全く違った。とにかく気持ちが良い。よく切れるどころじゃなくて、刃の重さでモノが切れる。「そうでしょう?」と言われたそれらは、「打ち刃物」と言われる、数人の職人、そしてもうその後継者は生まれない、今から誰かが弟子入りしても一人前にはなるまで間に合わない、という職人の方が最後まで仕上げたものだった。
ネットで見ていた層のものも良いものには変わりない。でも、持ったら全く違う。ここで買うならこちらを買わないと意味がない。お値段7倍くらいするけれど、持つならこっち。
でも、同時に恐れ多くなった。とっても。
私の鋏を作った職人さんはもうお亡くなりになっている。伝統工芸の育成補助環境もあって、後を継ぐ職人は極めて少ない。なにより『後を継いで職人になりたいと思っても、どんなに努力をしても、所謂一人前の職人になれる能力や才能がある人が現れるとは限らない』という事実。わたしがこの一丁を買うことは、もう生まれない伝統工芸を買うようなものなのだ。
私でいいのか、というのが、一番のしかかった感情だった。
誰か本来持つに相応しいはずの誰かよりも、私はこれを活かしきれるの?って。
そのお店の歴史の話、お父様である先代がお亡くなりになったときの話、移転を決める前に暖簾を下ろすことも考えた話、京都という街と伝統工芸の係り、色々のんびりお話をした。
その間もずっと、鋏を握り比べて。
手を見せたときに「優しい手してはる」って言われた、特段大きくもちいさくも、綺麗でも職人らしい無骨さもない、極めて普通の私の手。この人は何人の手を見て、その引き出しの中には何丁あって、どうやってこの4丁を出そうって決めたんだろう。
私自身。わたしにはこれだっていうのは、直ぐ分かってしまっていて。買う買わないはある意味自分の覚悟ひとつなのだ。逆に言うと、もうこの世に生まれてこないこの鋏を自分のものにするということは、これからも私は花とともにあるという約束をするようなものだった。道具は使ってこそ。320年かけてそこにあるものを、所有して使わないことは許されない気がした。
仕事とは全く違い、家では好きな花だけを飾る。大事に、でも出しやすい引き出しに、刃を磨くための藁と一緒にしまっている鋏を出して、時間を気にせず花と向き合う。
刀鍛冶が始まりというその暖簾の鋏は、刃を合わせたときに、かちんかちんとよく響く石みたいなとても澄んだ音がする。神事の魔除けの火打ち石みたい。
使うたびに思い出だす。あの一時間半。
私の手にぴったり吸い付くように選ばれたこの鋏に相応しく、私はこれからも花と向き合えるのかって。死ぬくらいなら仕事は辞めると決めている。でも、ずっと花といる方法として、私はどういう生き方を選ぶのかなって。
百日紅が満開で、京都らしいうだるような暑い日。大事に大事に包みを抱えて、そのままいけばな発祥の六角堂でお祈りをした。これからも花とともにある自分でありますようにって。
これからどうなるか分からない。
でもきっと、あのときの自分との約束に偽りは無いと信じたい。
#京都 #お買い物 #ひとりごと #エッセイ
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