嫌われてもいい切ない思い
あるYouTube動画を見てて思った
その動画では、飼ってる動物が一時的に食べられないため、医師の指導のもと、飼主が、毎日押さえながら、加工した物を食べさせているらしいが、動物は嫌がって逃げる
飼主は、食べないと違う病気になるからと心配そうに、嫌われても仕方ないと覚悟して、どうやったら食べてくれるか奮闘されている
私たちは、大切な人の気も知らずに、嫌と言ってきた、はねつけてきたのかもしれない、むしろこちらが嫌われてるとさえ思ってきた
YouTubeを見ているこのどちらでもない第3者の視点が本当の意味で持ててなかったかもなー
嫌も必要なことだとは思う、防衛反応
でも、こちらが嫌と感じてても、嫌われてもいい覚悟でやってくれていた相手のこと、その奥には絶対に見せない思いがきっとあったんだろーなー、たくさん見逃してきてしまったなー
その時は、はねのけることや自分の思いに必死で、今となっては確かめようもないけれど
嫌な記憶として残りやすい、なんという皮肉だろう
嫌な記憶をもっともっとたどると、もしかしたら、当時自分には見えていなかったものがあっただけなのかもしれない
例えば子どもの時には見えていなかった親の言動には背景があったのかもしれないと思えるだけで、記憶の解釈が変わる
仕事でも、彼でも、他にもたくさん
現実にされたこと、目に見えていることだけがすべてじゃない
深い深い思いがある
それは絶対に見られないよう隠されている
複雑な思いでそうせざるをえなかった状況もあるかもしれないし、悩んで悩んでその時点でのベストの選択を取ってくれたのかもしれない
自分には意味不明でも、その人にとっては思いやりの行動だったのかもしれない
その動物のように、知らないところで、そうやってたぶんほんとうは大切に大切にされてきたんだろーなー(涙)
けしてないがしろにされてたわけじゃないのかもしれない
勘違いして失礼な態度たくさんしてきたなー
遅いかもしれないけど、ずっとずっと今までありがとう
みなさんのそれぞれの道を応援しています✨