箱根への挑戦。
前回は僕の高校までの経歴をお話しました。
今回は少し詳しく大学に入ってから現在に至るまでを
お話しようと思います。
大学入学から現在まで
常連校より下克上
高校卒業後も競技がしたい。
そこで何を目指すのか。
僕の中では"箱根駅伝"の一択しかありませんでした。
だから必ず常連校に入りたいと思っていました。
でも高校3年生の始めはまだ15分台ランナーだったのでとてもじゃありませんが、
常連校に入れる選手ではなかったです。
そんな時まだ無名の僕に声をかけて下さったのが、
現在豊川高校で監督をされている
奈良修監督でした。
正直、奈良さんのことは知っていましたが、
流通経済大学は何県の学校かすら分かりませんでした。
いくらすごい方に勧誘されても学校が強くなければ、
箱根駅伝はないと思いお断りしようと思ってました。
でも奈良さんは1度直接話がしたいと
わざわざ岡山まで足を運んでくださいました。
そこで箱根に対する熱い思いに動かされ、
流通経済大学に行くことを決めました。
その時の言葉は今でも鮮明に覚えています。
常連校を倒して一緒に歴史を作ろう。
私はあなたと箱根に行きたい。
この言葉は今でも競技に対する原動力になっています。
右も左も分からない1年目
初めての寮生活、初めての同期。
何から何まで僕にとっては新鮮でした。
入寮して直ぐに怪我をしてまた辛い日々が
始まるのかなと思っていました。
だけど同期の三角、渡辺が仲良くしてくれて
同期がいるとこんなにも楽しくて
こんなにも心強いんだ
と思いました。
それと同時に補強をサボったり
体重管理をサボったりと僕は意外と
周りに流されやすいんだなと
いうことにも気づきました笑
そこから今一度気持ちを切り替えて
同期とも必要以上に関わるのをやめて
陸上に集中しました。
そんなことを続けていたら
5月の日体大記録会でセカンドベストで
5000mを走ることができました。
そこから上り調子を維持して
7月の絆記録会で14'28"73と前半シーズンは
いい状態で終えることができました。
大学で初めての夏合宿は非常に苦しかったですが、
充実したいい合宿でした。
そこから初めての連続で本戦ではありませんが、
初めて箱根駅伝予選会という箱根駅伝に関わる試合に
出場しました。結果は64'55で惨敗。
終わってから奈良さんに
"ハーフはそんなに甘くない"
とかけられた言葉は今でも悔しかったのを
昨日のように覚えています。
そこからハングリー精神を持ち後半の
トラックシーズンは
5000mで14'05"52と10000mで29'30"09と
どちらも自己ベストを大きく更新しました。
これから頑張ろうと思った矢先に
とんでもない事が起きました。
奈良監督の突然の解任
いきなり今年限りで監督を解任されるとだけ伝えれ
納得がいかないまま2年目に入り
関東インカレ後に怪我をしました。
そこからは競技に対するモチベーションが全くなく
一度は陸上競技を辞めることも考えました。
だけど同期の長谷川の箱根駅伝予選会を見て
"やっぱり僕もまたここで戦いたい"
そう思ってなんとか身体を戻すことに
全てをかけました。
再び戻ってきたこの場所に
かなり苦しみましたが、3年生の箱根駅伝予選会には
戻ってくることができました。
結果は散々なものだったんですが笑
そして後期のトラックシーズンを経て今に至ります。
2つの記事に渡り少し長い自己紹介になりましたが、
ザッとここまでが僕が歩んできたスポーツ人生です。
次の記事からは練習内容やメンタル面のこと、
試合までのプロセスなどを書いて行きたいと思います。
質問などはXにDMして頂ければ答えられることには
全てお答えします。
ここまで拝読して頂きありがとうございました。
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