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生物学者が嫌いな生物とは? その理由は?

みなさんは見るだけで身の毛がよだつような、嫌いな生き物はいますか?
私は虫が嫌いです。ゴキブリなんか見たらもちろん悲鳴が出ます。何も考えずに本能にのみ従って生きている下等生物ども。虫けら。
何を考えているか理解できない存在というのは、恐怖の対象です。これは人間の遺伝子に組み込まれた本能で、おそらくさまざまな戦争や人種差別の遠因、あるいは直接的な原因にもなっていることでしょう。

しかしながら、私はカナヘビとトカゲを飼うようになってから、多少は耐性が生まれました。エサの確保のためにワラジムシ、ミミズ、コオロギ、クモ、バッタなどを捕るようになったからです(とはいえ、未だにゴキブリ系のエサだけは扱えません)。

水でふやかした乾燥コオロギを食べているカナヘビのカナ太郎。色白美人。
私の書斎のトカゲマンション。
3匹のニホントカゲ、3匹のニホンカナヘビ、そしてワラジムシが暮らしています。
日向ぼっこをするカナヘビ3兄弟。
左からカナ坊、カナ太郎、カナ次郎。
カナ次郎は子どもで当時は小指くらいの大きさです。

関連して、生物学者池田清彦先生の新刊『人生に「意味」なんかいらない』を読むと、興味深い言及があります。

それは生物学者かつ昆虫好きの池田先生にも苦手な生物がいるということ。そりゃ、いくらなんでも嫌いなものが1つか2つあるのは当たり前だろう、と思われるでしょうが、純粋に生物好きな人が嫌いな生物って気になりませんか?

以下は、前掲書の中から、本記事用に改編・抜粋したものです。
意味不明なものを恐れる人間の性質が宗教や科学を発展させた一方で、自分の価値や人生について必要以上に悩ませる「意味を求める病」の根っこにあるのがわかります。
メチャクチャ面白い本なので、気になった方はぜひ手にとって読んでみてください。


人間は意味のわからないものを恐れる

 なぜ、人間はあらゆるものに意味を見いだそうとするのだろうか。おそらく、「意味がわからないものに対する恐怖心」が関係しているのではないかと、私は考える。ムカデやナメクジなど、「何を考えて生きているかわからない生き物」を見ると、彼らが自分の理解を超えているからか、本能的な恐怖心を感じるという人も少なくないだろう。
 人間は、何か自分たちの理解を超えたものと相対したときに、その意味を理解することで安心しようとする。
 たとえば、洞窟の中に入っていって、そこに巨大なモニュメントのようなものがあったとする。私たちは「これは何のためにつくられたのだろう?」と考える。それが、おどろおどろしいグロテスクな姿をしていたら、なおさらその意味を知りたがるだろう。ここにとどまり続けたらまずいのではないか、このモニュメントに呪われるのではないか、などとあれこれ考えて、不安を増幅させていくわけだ。
 人間にとって、見知らぬもの、理解できぬものは、恐怖と不安を与える存在なのだ。そこに何らかの意味をつけて少しでも恐怖と不安をやわらげたい。この志向こそが、宗教を生み、科学を発展させたのだ。
 大昔の人にとって自然は畏れの対象であった。天変地異が起きても台風や日照りにあっても、科学というものが存在しない時代にあっては、多くの人々はすべての自然物に霊魂が宿り、この世界の諸現象はこれらの霊魂の働きによると考えて自然の意味づけをしたのであろう。これをアニミズムという。
 大昔の人がどういう自然観を持っていたかを直接知る術はないが、現在の狩猟採集民の自然観はほとんどアニミズムであることから考えて、大昔の人も同じような自然観を持っていたに違いない。
 科学もまた自然の意味づけから始まった。たとえばダーウィンの進化論はこの世界になんでこんなに多種多様の生物種がいるのかという疑問に対する宗教とは別のタイプの答えであった。キリスト教が、すべての生物は神がつくったということで、生物多様性の意味づけをしたのに対し、ダーウィンは起源種から種分岐を繰り返すことにより生物多様性が生じたという別の意味づけをしたのである。
 そうは言っても多くの人にとって、すべての存在物に合理的な意味を見いだすことは難しく、生理的に気持ち悪く、嫌いなものがあるのが普通だろう。これは理解できないものに恐怖した原始人の感性が残っているせいだと思う。
 昆虫好きな私にだって苦手な生き物はいる。一番苦手なのがザリガニだ。原因は幼少期のトラウマで、子どもの頃、毎日曜日にバケツ片手に父親の自転車の後ろに乗って荒川放水路の岸辺で、よくアメリカザリガニを採りに行き、たくさん採ってきて、それを天ぷらにしたりして食べたりした。その祟りなのか何なのかよくわからないが、アメリカザリガニが大嫌いになった。サササッと尻尾で後ろに移動する独特な行動を想像するだけで生理的な嫌悪感を覚える。だから触るのも見るのも嫌である。
 養老孟司さんは蜘蛛が苦手だそうだ。あるとき、側溝を覗いたら、そこにザトウムシという足の長い生物が20匹くらい集まって動いているのを見たときにゾッとして、それ以来蜘蛛が嫌いになってしまったそうだ。ザトウムシはクモガタ類に分類されるが、厳密には狭義のクモ(目)とは違っているものの形はクモに似ているので、クモも含めてこの辺りの生物が苦手になったという。集合体恐怖がきっかけかもしれない。
 基本的に昆虫や動物が好きな私や養老さんですら苦手なものがいるのだから、一般の方は、あまり馴染みのない生き物と相対したときには、本能的な恐怖心を覚えるのは、ごく普通のことではある。最近、コオロギ食が話題になって、コオロギが生理的に嫌いな人たちが、ものすごい拒否反応を示して、非科学的なコオロギ食バッシングをしているのも、理屈は生理的な嫌悪に勝てない好例であろう。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(編集部 いし ぐ ろ)


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