歴史とは勝者が塗り替えた歴史にすぎない。 オリンピック下で思う中国共産党のウソの歴史
こんにちは
編集部の稲川です。
先週のnoteで紹介した『3月のライオン』。
羽生善治永世名人が順位戦で、3月の最終局を待たずに、29期守り続けたA級から陥落したニュースがありました。
同世代の私としては寂しい限りで、とくに羽生さんの獅子の姿を見ることなく、今月で終わってしまったことがとても残念です。
さて現在、北京オリンピックが開催されていますが、私は仕事で中国へ3回ほど行ったことがあります。1、2回目は北京国際ブックフェアで、3回目は中国の出版社に直接お尋ねして版権の営業に回りました。
いずれも北京市内でしたが、3回目の出版社回りでは、市内と言ってもとにかく広いといった印象で、車で移動するも同じ市内かというくらい距離でした。
この中国出張の際に天安門広場を訪れたのですが、広場は南北約880メートル、東西約300メートル、総面積約44万平方メートルという敷地で100万人ほどが集まることのできる世界最大級の広場と言われています。
また、その北側にある故宮は約72万平方メートルありますから、この2つを合わせると東京ドーム30個近い広さになります(なぜか東京ドームが比較対象になってしまいますが)。
かの天安門事件があったのは1989年6月。今から30年以上も前の事件ですが、中国ではこの事件はなかったことにされています。あの広場に民主化を求めた学生・市民が集まり、ハンストを行い、その後3000名以上が殺された場所は、訪れた時は憩いの広場のようにどこかのんびりしていて、凄惨な事件があったとは想像もつかないほどでした。
亡くなられた長谷川慶太郎先生に、この天安門事件についてお聞きしたことがあります。
先生は、「なぜ同じ国民を人民軍は平気で殺戮することができたのか?」という問いに対して、「派遣された人民軍は田舎の中隊で、北京語が通じない。だから、学生たちの言葉もわからないし、そもそも同じ国民だという感覚がない。軍の命令を忠実に遂行しただけだ」とおっしゃっていました。
たしかに、中国の人口は2021年の調査では14億1000万人(ただし、香港・マカオ・台湾を除く)。戸籍を持たない人、少数民族などを入れると16億人を超えると言われている国です。
北京語が公用語だと言っても、まったく言葉が通じないなどはざらにあるのでしょう。
そんな中国ですが、今回はこの国の近代史についての本を紹介したいと思います。
中国の知られざる真実を暴いた1冊
中国共産党国家の中国は、1949年に中華人民共和国として建国されました。
共産党が誕生したのは1921年。中国ではこの年から中国という国が生まれたとして昨年、創立100周年を迎えた式典を行っていました。
共産党誕生時のメンバーは13人。そのなかの一党員として毛沢東がいました。
彼はもともと湖南省の出身で、方言しかしゃべれない青年でした。北京大学の図書館補助員として、五・四運動の中心とった陳独秀の『新青年』に論文を2つ出しています。
1917年に起こったロシア革命に影響を受け、1919年に抗日・反帝国主義を掲げて五・四運動が発生します。そして、同年に陳独秀と李大釗が主要メンバーになり共産党が発足し、1921年の第1回党大会という運びになります。
しかしこの時、毛沢東は参加していません。彼が参加したのは第2回からで、それも口も利けない下っ端でした。
日本人は、毛沢東が五・四運動や共産党発足につながりがあるように学びますが、彼は陳独秀と会っただけという存在で、共産党発足の初期メンバーではありません。
そんな毛沢東は、どうして中国の国家主席にまで登り詰めたのか。
ここには意外な真実が隠されていたのです。
『真実の中国史【1840‐1949】』(宮脇淳子著/岡田英弘監修、李白社。※のちにPHP文庫)
この本は、私が李白社時代に中国史の疑問を用意し、宮脇先生の研究室に何度も足を運び、その聞き書きをまとめたものです。
素人の質問を、先生が丁寧に解説していただいたおかげで、とても読みやすく、かつ中国近代史の知られざる真実を聞くことができ、私自身が一番勉強させていただきました。
監修者の故・岡田英弘先生は中国史における大家で、藤原書店さんにより著作集がまとめられています。
岡田先生の中国史のなかで、私が強烈に印象に残っているのは、日本という国の誕生説です。
660年、朝鮮半島の百済が唐に滅ぼされると、倭国は663年に、百済復興のため白村江の戦いに挑み大敗します(唐と新羅の連合軍)。
そして、次の唐の進攻は倭国だということで、681年に律令編纂に動きます。
これは倭国にとっては相当な脅威だったようで、国防が法制度を生み、日本という国が誕生したきっかけであったと岡田先生は言います。
つまり、日本の国が誕生する起源は、701年の大宝律令の制定にあったというのです。
そして、こんなこともおっしゃっていました。
「日本という国は、歴史的に追いつめられるたびに成長する」
まさに歴史の教訓です。
幕末も外国からの脅威でしたし、太平洋戦争も猫が虎に挑んだ戦争でした。
プラザ合意の円高も日本を高度経済成長させました。
そんな岡田先生は、宮脇先生(あっ、先生は共同研究者あり奥様でもあります)が中国史について語るそばで、解釈に間違いがないかを聞いておられました(このときは、心筋梗塞を患いうなずいたり首を振ったりするだけで、時折声を掛けられるといった状態でした)。
話をもとに戻しますが、この本は1840年から中国の近現代史として始めています。
しかし、宮脇先生の説を取ると、1894年の日清戦争からになるのですが、どうして1840年のアヘン戦争から中国の近現代としたのか、その理由が語られています。そこには"毛沢東"が絡んでいるのです。
【毛沢東が書き換えた、アヘン戦争からの中国現代史】
中華人民共和国の初代国家主席である毛沢東は、支那事変が始まり、中国共産党が国民党に追いやられて延安に逼塞していた時、自分たちに都合のよい歴史を書き始めました。毛沢東という人物はものすごく頭がよく、「中国共産党はペンと剣で権力を握った」と自分でも言っています。ペンとは宣伝などの情報戦、剣とは軍のことです。
毛沢東は膨大な量の古典を読み、中国の伝統をよく知っていました。そして、中国の古典にのっとって、自分たちが正当な支配者になるために伏線を張ったのです。国民党に勝つためにも自分たちの正当性を主張することが重要です。そこで毛沢東は、中国共産党の歴史的正当性を証明するためにも中国近現代史の始まりをつくらなければなりませんでした。中国が外国から圧力を受け、その過程でいまの中国共産党が生まれる間接的原因となる出来事がなければならなかったからです。
中国は日清戦争で日本に負けたことに本当にショックを受けたのですが、これでは日本を勢いづかせることになってしまいます。そこでその事実をいっさい内密にすることに決めたのです。
実際、中国は日清戦争に負けたことで本格的な近代化が訪れたのですが、一九四〇年(昭和十五年)頃に書き始めた中国近現代史では、そのこと自体をなかったことにしました。つまり、日本に影響を受けたということを、いっさい歴史から抹殺したのです。ですから、日本がいいことをした(いいことをした涙点)ことも中国の歴史にはまったく現れません。けれども、日清戦争では本当に日本が強くて立派でした。だから日清戦争以後、南の清国人は日本に留学し、満洲人ではダメだと言い出したのも日本のおかげなのです。
本当の歴史はそうであっても、毛沢東は考えた末、日本を消すためにイギリスを選びました。イギリスなら中国の面子(メンツ)も少しは立つというわけです。それで「屈辱の近代はアヘン戦争から始まる」となったのです。イギリスが来て、中国がアヘン戦争で負けたところから中国人は覚醒したということにしたのです。
もう、これだけで共産党が勝者の歴史に書き換えた事実がわかります。
まるで、天安門事件もなかったかのようにするやり方です。
北京オリンピックでは「中国台北」ではなく「中華台北」だったが・・・
このところ、中国の国際的な問題が浮上しています。
ウイグル人の人権問題です。
ほかにも、香港民社化運動の弾圧、チベット、ベトナムの国境問題、日本の尖閣問題、そして、台湾は中国の一部であるとする台湾問題など、国際的にも非難されるものばかりです。
中国はすべて「内政不干渉」の姿勢を貫いていますが、人権問題となると別。ウイグル人の人権問題に関しては、欧米などオリンピック不参加まで検討されました(オリンピックが政治的要素から抜けきらないままですね)。
そんな中国が、次のターゲットにしているのが台湾だと言われています。
先ほど、中国近代史はアヘン戦争から始まったと書きましたが、中国の小中学生の国定教科書には「国恥地図」というものがあります。
「国恥地図」とは清朝の初め頃に、領土が最大になったがアヘン戦争以降に領土がいかに小さくなったかが描いてあります(これも正確には、やはり日清戦争が正しいのですが)。小学校低学年から教わっているわけですから、ねらうのは一番近くにある香港、そして次は台湾というわけです。
台湾有事とは中国による台湾侵攻を指しますが、アメリカではかなり現実視されています。
2021年3月9日の上院軍事委員会の公聴会で、米海軍インド太平洋軍のフィリップ・デービッドソン司令官の発言により、世界に緊張が走ったのです。
「中国は、ルールに則った国際秩序におけるアメリカのリーダーとしての役割を2050年までに代わって担おうという野心を強めている。台湾はその野心の目標の1つであることは間違いない。中国による台湾侵攻の脅威は向こう10年、実際には今後6年で明らかになると思う」
面子の国、中国。
とくに対外的には、国民に弱腰と見られることが内政の不満とされます。
岡田先生は、中国に対してこうも言っておられました。
「中国の外交問題は、すべて内政問題である」と。
中国国民を納得させるためには、世界でトップでなければならず、それができないリーダーは認められないという国なのです。
つまり外交は内政のためで、小中校時代から教わっている領土における問題は、ある意味国民に浸透している概念なのです。
平和の祭典オリンピックが行われているなかで、火に油を注ぐような今回のnoteですが、『真実の中国史』を、こんな時だからこそお読みいただきたいと思っております。
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