境界知能当事者が語る「理解力の低さ」の長所
私は仕事を覚えるのが本当に苦手でした。
学生時代にコンビニでバイトをしたのですが、宅急便の扱いや代行収納の処理など、何度教えられても覚えられず、店長に激怒されたものです。
新卒で入った会社では同期が20名弱いました(大卒は私のみで私が年長。ほかは高卒や専門卒)。そこでは、新人研修としてQuarkXPress(なつかしい!)、Illustrator、Photshopの操作を習うのですが、私はまったくついていけず、パワハラ講師にみんなの前で吊し上げられ、怒鳴られました。
本当に惨めでした。「俺って、実は仕事のできないバカなんじゃないか」と思えて、涙が出たものです。
私の職業遍歴の原点がそんな感じなので、今では、そつなく何でもこなす新人よりも、不器用で「デキない」と周りから思われているような新人のほうに肩入れしたくなります。
さて、私のようになかなか仕事を覚えられない、つまり理解力がないと自覚している人は多いと思います。
しかし、「理解力の低さを長所」と語る人がいます。それがIQが平均よりも低い境界知能のなんばさんです。
そんな彼の著書『境界知能の僕が見つけた人生を楽しむコツ』の中から該当箇所をご紹介します。
理解力の低さを長所と考える
「理解力がない」
直接まわりからそう言われなくとも、自覚している人もいるでしょう。
僕も、理解力が低いことに引け目を感じることがありますが、深刻に考える機会は減りました。理解力が低いことにもメリットがあると知ったからです。その理由を4つお伝えします。
理解力が低いほうが伸びる―理由①
僕が尊敬している格闘ゲーマーでプロeスポーツチーム「DONUTS VARREL」所属のマゴさんが、次のような発言をしていました。
「要領が良くてすぐにうまくなるやつは、天井が低い。対して、要領が悪くすぐに結果が出ないやつは、天井が高い」
簡単に言えば、理解力が高い人よりも低い人のほうが伸びしろがあるということです。
子役で大活躍していたものの、大人になってからめっきり見なくなった人もいれば、芸能活動を10年以上続けてからブレイクし、今も活躍し続ける人も多く存在します。こうした例から個人的に思うのは、試行錯誤の回数の多さが、長年活躍する人の特徴なのではないかという仮説です。反対に、理解力が高くて要領よくこなせる人は、自分の能力に甘えてしまい、自分の能力を高めることをしないため成長が止まってしまうのではないか、と。
人の痛みや気持ちが理解できる―理由②
理解力が低いことで、社会的に立場が弱い人の気持ちが理解しやすくなります。矛盾した一文に思えるかもしれませんが、要するに仕事ができない人を見ても、「俺もああいうことあるな」「気持ちわかるな」と共感できるのです。また、他人の障害や病気に対しても、その困難さのうちのわずかでも、理解できるような気がするのです。
これから「共感力」を求められる時代になると思いますので、強みとして発揮できる可能性があります。
まわりから期待されない―理由③
理解力が弱いと、残酷なことかもしれませんが、まわりから期待されません。でも、期待されないってすごいメリットになりうるんですよね。
普段できないと思われている人が、たまたま得意な仕事を任されて結果を出したりすると、「あいつ意外とやるな」と思ってもらえます。学校では目立たない陰キャが全校生徒の前で歌を披露したら、うますぎて大絶賛されたという動画を見たことがあります。あんなふうに、普段目立たない人や才覚のかけらもないと思われている人が、得意分野や好きなことで成果を出すと、まわりからの見る目が変わるのです。
怖そうな不良がたまに見せる優しさとのギャップに萌えるとかもそうかもしれません。
親しみを抱いてもらえる―理由④
そもそも、自分の理解力の低さを、あえてさらけ出してみてはいかがでしょうか。相手が自分の弱みをさらけ出してくれると、受け手は「親しみやすさ」を感じるものだからです。知ったかぶりしない人、カッコつけない人として、好印象を抱かれるのです。
僕から見ても、元からできる完璧な人よりも、欠点があるけれど一生懸命に生きている人のほうが愛おしく思えます。他の人より理解力が弱いことに気づいてもらえれば、自然と助けてくれる人も増えます。
以上のように、自分の理解力の低さが何かしらメリットにつながっており、それが自分を好きになるきっかけにもなります。
同じ悩みを持つ者同士だからできる共感
特に理由②については、僕個人にとってはとても重要でした。
僕はサラリーマン時代、さまざまな困難を経験しています。「仕事ができない」というのは最たる例です。
新人のときにコピー機の使い方がわからずもたもたしていて、上司から叱責されました。半年間設計業務を行っていたときも、CADというソフトの使い方がいっこうに覚えられず、毎日のように社長に詰められていました。
しかし、こうした経験をしたからこそ、仕事ができない人の気持ちが痛いほどわかるのです。仕事ができる人になりたいと今でも思いつつも、仕事ができない側の気持ちがわかるのは逆に強みなのではないかとも思います。
僕が某メディアに出演したとき、批判的な意見をもらう一方で、当事者からは「よく出演してくれました」「僕も境界知能です。なんばさんの活躍を見て僕もがんばろうと思えました」などというコメントを数多くいただきました。ずっと日の目を見ないで生きてきたものですから、僕のほうこそ、境界知能の生きづらさに共感してもらえることがとても励みになりました。
こうして自分の生きづらさに共感されると、社会のなかでの心理的安全性が高まり、「どんな自分でも存在していい」という土台が自分のなかに生まれました。
僕が主に共感力を活かす場面は、境界知能に関する相談事にのっているときです。始めて間もない頃は、アドバイスを中心にしていたのですが、回数を重ねるうちに、自分の気持ちに共感してほしい人が多いことに気づきました。
そのため、まずはアドバイスや否定から入るのではなく、肯定や傾聴から入るようにしたのです。アドバイスをする際は、主語を「あなたは」ではなく、「僕は」にすることで相談者の生き方を否定しないことを意識しています。できない側だからこそ共感できる言葉がふと出たりするものです。たとえ、心から共感することは難しくても、「共感する姿勢」を持つことも大事なのだろうなとも思います。
僕の場合、ひねくれているので、できる人に共感を示してもらっても、「どうせ心から思ってないんでしょ」と受け入れられないことがあります。同じような生きづらさを抱えている者同士だからこそ、上辺だけではない信頼関係を築けるのだと思います。
冒頭の話に戻りますが、私は今ではDTP関連のAdobe系アプリは難なく使いこなせるようになりました。間違いなく、社内で一番スキルがあると思います。
だからこそ、人によって得意不得意や、理解するまでに要する手段や時間は異なると実感しています。1つの基準でのみ「できる」「できない」と判断することはアンフェアであり、若い人の場合はできるだけ長い目で見るべきだと思うのです。
(編集部 イ シ グろ)
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