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80年代後半~90年代のわけのわからない不気味さの魅力

誰もが、自分が少年時代を過ごした年代を美化したり、あるいは特別視したくなるものでしょう。
私にとってそれは80年代後半~90年代です。
90年代後半まではインターネットは普及していません。情報はもっぱらテレビから得ていました(少しばかり賢い子は雑誌や書籍も読んでいました)。
コンプライアンスなんて言葉がなかった時代なので、以下のようなインパクトの強い事件が起きるたびに、連日、テレビはセンセーショナルなテロップとともに視聴者を煽りまくっていました。今ではSNSで炎上必至の、加害者・被害者家族への突撃取材が当たり前のように放送されてたものです。

1988年 女子高生コンクリート詰め殺人事件
1988年 名古屋アベック殺人事件
1988年 名古屋妊婦切り裂き殺人事件
1988~1989年 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
1995年 阪神・淡路大震災
1995年 地下鉄サリン事件
1995年 神戸連続児童殺傷事件
1995年 埼玉愛犬家連続殺人事件
1999年 栃木リンチ殺人事件
1999年 光市母子殺害事件

私の生活圏においても、2000年に発覚した新潟少女監禁事件の被害者少女のポスターがバス停などに貼ってあったことを思い出します(誘拐されたのは1990年)。風雨によって色あせ、ところどころ剥がれていくポスター、そこに写っている少女の写真が記憶に残っています。
ポスターと言えば、こんな薄気味悪い映画のポスターも街中に貼られていました(見に行ったけど)。

また、高校卒業後すぐに、私の幼なじみが特定失踪者(北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者)になりました。
昔、「FBI超能力捜査官」(FBIに在籍していたと自称する超能力者が、未解決事件の犯人探しや、行方不明者を探すと言った番組)みたいなテレビ番組が不定期で放送されていましが、失踪したその子のお母さんは、そうした番組のいくつかに出て娘の行方を追っていました。現在の感覚からすると被害者の気持ちを愚弄する唾棄すべき番組企画ですが、それに出演するほど藁にもすがる必死な思いだったのでしょう。

事程左様に、人は良い思い出よりも悪い思い出のほうが記憶に残りやすいもの。したがって、こうした事件報道とともにあった私が10代だったころの空気感は、けっして明るかったとはいえない印象です。
なぜこんなことを書くかというと、Netflixで伊藤潤二のマンガを原作としたアニメ「マニアック」をイッキ見して、あらためてその思いを強くしたからです。

伊藤潤二が描く美少女って魅力的なんですよね。キレイで聡明(あるいは暗愚)そうだけど、妙な色気もある。画家の山本タカトの作品もそう。
ちなみに「マニアック」の中で一番胸糞悪かったエピソードが「いじめっ娘」。

描かれるのはまだケータイ電話が普及する前の時代。登場人物は、月子とか敏江とか、今風ではない名前が多い。写真はネガフィルム。アナログ的な現像しかできないので、たまに変な写真ができてしまい、しばしば心霊写真と疑われたり、研究の対象とされることも。オカルト的なものが今とは比べ物にならないほど身近です。
そう、この作品では、まさに私が10代を過ごした、あのわけのわからない時代の空気、そしてそれを背景にした恐怖が描かれています。

期間限定で伊藤潤二の傑作「うずまき」の1巻をまるまる1冊試し読みができます。

同様に、Netflixのオリジナルドラマ「呪怨:呪いの家」も、冒頭に列挙したような事件が物語のモチーフになっており、当時を追体験しながらより直接的に恐怖を味わうことができます。

私と同年代のクリエーターや製作の責任者が増えたからでしょうか、80年代~90年代を描いた作品が増えたような気がします。
当時の時代の空気を知らない若い世代が、こうした作品を見たときにどう感じるのでしょうか。私が感じた恐怖とはまた違うのかもしれません。ぜひ感想を聞いてみたいものです。

まとまりのない投稿になってしまいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(い し ぐろ)

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