
40代大組織から独立。不安の乗り越え方
私はとてもcrazy。
周りから見ればきっと。
ローンを組んで(変動金利)
地方に戸建てをもち
5歳と2歳の息子達の父親。
訪問介護にお世話になりながら
父の介護をしている。
組織での仕事は17年間となり
脂が乗り
まさにコンフォートゾーンにいる。
世間は物価高。
混迷を極める情勢。
だけど強固なこの組織はなんのその。
大船の一員だ〜と
あぐらをかいておけば
それなりに安定した日々を
過ごす見通し。
そんな中、
なぜか
こんな生き方やだ!
となり
3月末に退職を決意。
4月からフリー。
住宅ローンも
子育て費用もあるのに
マジかよ。
と、親戚からも
周囲からもなじられる。
当然だよね。
その辺のこと↓
だけど、荒れた海に
漕ぎ出した小舟の上。
不思議と不安はない。
ただただアホなのか。
いや、
ここに至るまでに
たくさんの
壁や葛藤があったのだ。
たくさんの
リスクを抱えているはずなのに
どうしてこんなにも
清々しい気持ちで
安定を投げ捨て
荒波に漕ぎ出すことが
できるのか。
こんな天晴れな
思考に至った経緯を
綴っていく。
1,種をまく
仕事が死ぬほど忙しくて
大変なのに
どうしてもやってしまいたくなること
ありませんか?
これは変な言い方になるけど
魂の営みだと思う。
私はギターで曲を作ったり
演奏したりすること。
そしてできた曲を
配信したり
人に贈ったりしていた。
それは若い頃に
音楽活動のため
上京していた過去にも
関わるが
いつまでも
続いている。
というか
気がつけば
ギターを握っている。
こうして続けてきた配信のおかげで
多くの人とつながり
自己肯定感が生まれ
これを通して
人に喜んでもらえる機会が
生まれた。
これまでの演奏ストック↓
また全世界に配信も叶った。
そもそも副業が禁止なので
お金をもらうことはできなかったが
この活動で
人とのつながりや
信頼関係や
自分の認知
スキルや展開
などの
数値化できないような
無形の資産がたまっていった。
こうした配信を
続ける中で
何の反応もなければ
きっとやめてしまっただろうけど
ポジティブな反応や
様々なリクエストを
いただくようになり
自信がついてきた。
あなたの場合はありますか?
例えば
絵を描くとか
アクセサリーを作るとか
占いをするとか。
何かを通して
人と繋がり自信が持てることは
無形の資産だと言えないでしょうか。
さて、他にも、
時代の変化や
社会的なニーズを見る上で
自分なりに社会貢献できそうなこと
を棚卸ししてみる。
するとコレなら!というのが
出てきた。
それを極めたいと
自然に思い
それほどの苦労もなく
勉強をしてきたもの。
心理とキャリアコンサルティング。
心理については
公認心理師の資格を取った。
またキャリアコンサルタントの
資格取得のため
現在勉強中。
他にも
おもしろそー
と取得したNLPや
カウンセリングの資格。
気がつけばそれらが、
これから
対人支援業を
設立していくにあたって
大きな武器となりそう。
ココナラでも体験的に実践。
こうしたことを
3年ほど前から続けている。
そしてずっと続けてきた
DTM(デスクトップミュージック)
での作曲も。
どこから来てるのか分からない
自分ならやれるかも
という謎の自信がある。
ホームページまで
試しにココナラで探した
クリエイターさんに
作ってもらった。
商品化してすぐに
売れる状態ではないけれど
何年も前から
種を蒔き
育ててきたこれらを
本気でやるぞ!と解放したときに
きっと展開していくぞと
信じている部分がある。
うまくいかなければ
とにかく学んで試行錯誤。
また、国が全国に設置している
中小企業むけの相談所もある。
2,心の成長
安定した大手で
心地よいポジションにいるから
お金も保障も心配いらない人生。
でも、そこに埋没していく感覚。
なぁなぁになり
成長が止まってしまう
そんな実感があった。
そのくせ、何かと
組織や周りの人のせいにしてしまう気持ちや
周囲とうまくやらなければいけないし
騒ぎを起こすわけにはいかないから
自分を抑えて大人しくしておかなきゃいけない。
これって、
自立してるとは言えないよなぁ。
と。
自分の責任で生きていないなぁ。
と。
心のどこかで叫んでいた。
自分の使命って何だろう。
組織のために
自分の中の正義を抑えて
組織の利益のために
調和的に生きること?
と自問すると
私の場合は違うなぁ〜。
という答えが返ってきた。
組織のためだけでなく
地域、いや、国、
いや世界のために
何かできないかなぁ。
と、厚かましくも
私の場合は思ってしまう。
組織そのものが
社会のためであるのだけれど
ダイレクトに
求めてる人に
求めていることを
困っている人に
満たせる何かを
自分の責任でお届けできる人になりたい。
そう考えたら
目の前のしがらみも
色んなトラブルも
これからの自分へ
鍛え上げるための
試練だと思えてきた。
こうして前向きな気持ちで
成長しようと
足掻いてきた気がする。
3,お金の不安の見える化
これ、大きいと思う。
いつくらいの時期に
どれくらいのお金が必要か
どれくらい投資に回すといいのか
など、明確になっていない分
恐怖は大きい。
何となく
世間的に
三大支出が…
子どもの教育費が…
病気やケガで…
老後は…
みたいなワードを
解剖せず大まかに
飲み込んでいると
ただ、怖くなる。
だから、
FPなどに計算してもらったり
日本年金機構で年金の額を
割り出したり
マネーフォワードで
資産の変遷をチェックして
見える化しておく。
あと税金の知識や
節税の方法
補助の受給の仕方も。
すると夫婦で最低限
どれくらい稼いで
お金を用意していれば良いか
見通しが持ててくる。
見通しが持てると
マネープランが立てられるので
最初の1年間収入が少なくても
乗り越えられるぞ!
と心の準備もできる。
また、属長から
「また落ち着いたら帰ってきてね」
と言っていただくなど
普段の業務を真面目にこなしていたので
再就職の可能性をお守りとして
心のどこかに置いておくことができた。
もちろん、社会情勢は変動するので
プラン通りにはいかないが
大枠での見通しにつながる。
4,パートナーの深い理解
家庭という船の一員である以上
パートナーの理解は不可欠。
妻は最初は
目に見えるもの(現実)でしか
物事を判断しない人だった。
それは当たり前のことで
おかしいのはむしろ私の方。
目の前にない不確定な未来を信じ
勝手に見通しを持ち行動する。
きっと危なっかしく見えていたと思う。
(ちなみに私ギャンブルは一切しません)
けれど、育休期間に
様々な講座で出会った
色々な業界の人
多様な人の影響で
色んな見方考え方があるのだと
学んでくれたようだった。
それ以降
私の紹介した本やら
コンテンツやらも
興味を持ってくれるようになり
話も合うようになってきた。
ちなみに
1番身近な人の説得は
1番効果がない。
同じ景色の中で生きているのに
違う見方をすると
よくそんな風に感じられるわね!と
相違点ばかり膨らみがち。
周りの人からの声で
目の前の人のことに気づくもの。
巡り巡ってようやく
また出会えた。
そんな感覚。
今では最大の理解者で
腹が決まった女性は強い。
私よりも豪快なプランを提案。
ドンと行ってこい!
と追い風になってくれた。
実際に1人で夜な夜な
コツコツやり続けてきた姿も
見てきたから
信じてくれている面も
あるのかもしれません。
妻は同業で同じ立場の人なので
しばらく稼ぎは任せろ!
と覚悟を決めてくれた様子。
周りのガヤに対しても
盾になってくれるほど。
100人分の応援に匹敵するほど
心強いもの。
こうして、
不安を減らし
時が満ちて
迎えるべき時を迎えている感じ。
パートナーという大応援団や
子ども達のためにも
簡単に諦めずに
突き進めそう。
ここまでくるのに5年は
かかった気がする。
だけどこうして
目には見えない資産を
たくさん作ってこれた。
結果はきっとその先についてくる。
不確定な未来を楽しんで受け入れ
起きたできごとを当然の学びとして
自分のものにしていく。
それが充実した人生の要素。
(ジョンDクランボルツ 計画的偶発性より)