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夏休みと内発的動機づけ

かのこにも時々参加する長男が、ここ最近、内発的動機づけが減退し、外発的動機づけにくたびれているような様子がうかがえます。

私自身のこども時代を振り返ってみました。

そうしたら、
内発的動機づけが感じられない時は、いつだってつまづいていたな、と思い出しました。
そして、そりゃそうだ!って。

1,もちろん宿題をやる意味なんて感じられない

「夏休み」と言っている以上、休みでしょ!としか思えなかったですね。
楽しいことだらけでした。
友達と市民プールで遊んで泳いで、お好み焼き買って食べ歩きしながら帰る、とか。
お友達の家にお泊りしに行く、花火見に行く、祭りに行く、親族でバス旅行に行くなどなどなど・・・。

今思うと、下手なものばかり買っていた気がしますが、お土産屋ってこどもの私にとって、どこもかしこも魅力的でした。
お友達にあげる分と自分の分と・・・。

夏の終わりが嫌いなのは、いよいよ宿題に向き合う期日が迫っていたからかもしれません。その影響か、いまだに夏の終わりは寂しく切なくなります。

2,9月に自由研究

これだけ遊びほうけていて、自由研究を8月31日にどうしよう!と言い出す私でした。
その年は、9月1日が金曜、土日をはさんで、翌週から本格的に学校がスタートしたのだったと記憶しています。

見かねた父の登場です。

テーマから段取りから全て整えてくれました。
「えんぴつのできるまで」というタイトルで、三菱えんぴつ工場に見学に行きました。
受付のお姉さんから、「自由研究ですか・・もう9月ですね!」と苦笑されました。
全てが、外発的動機づけで動いていたな、と思います。
一生懸命な父に申し訳ないから、ちゃんとやらなきゃ、とか。
結果、学年にふさわしくない、素晴らしい出来になってしまいました。

学校で発表する時、
出来過ぎた内容を披露するのが、とても恥ずかしかったです。
内心、これバレてるな、と思いながら・・・。


3,ラジオ体操

宿題にならんで嫌いなもの、それが、夏休み中毎朝のラジオ体操でした。
子ども会単位で公園に集まるのですが、
私は、“新しい~朝が来た~希望の~🎵”の歌が目覚ましでした。

わー始まっちゃってるー!って、公園からの音で飛び起きて、
眠たい顔のまま参加して、上級生からカードにスタンプを押してもらいました。

カードにスタンプは、パブロフの犬ほどの条件づけにもなりませんでした。
ためるとたしか最終日におやつがもらえたんだと思います。
多少は嬉しかったものの、だからと言ってやる気になるものでもありませんでした。

これも、ズル休みってバレるのが嫌だから、という外発的動機づけで参加していました。

4,ならば夏休みは?

既に減退している、内発的動機づけを取り戻して、長男にとって、満足感、幸福感の得られる休みにしよう、と思います。
それを懇談会でも先生にお話ししてみようと思います。
そうでないと、無気力状態で、9月を迎えることが目にみえています・・・

どうなりますことやら。

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