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コールドムーン12月の満月/何でもありだけど…満月に誓いたい想いがあった。
犬散に何時も利用させていただいている通りの向こうの道の駅。
重点道の駅にも指定された事があります。
ツーリストの犬や犬友達にも出会える飼い犬にとっても嬉しい日課になっています。
先日、あまりにも多数のゴミが隅々に散乱していて歩いて気になり回収しました。大きなゴミ袋にいっぱいになりました。内容物はさまざま…
管理している事務所にボランティアゴミと称して分別を頼み置いてきました。
後日「写真を撮って上に連絡しかたら…」 「……」
願わくば、事務所で交代で毎日一回りしてくれると嬉しいのだけど…
すっかり綺麗になっていてもツーリストの人々は飴の包み紙、ティシュいろいろ無意識に捨てていきます。捨てる!と言う意識もないかもしれない。
一週間毎日犬と一緒に右手に軍手をして集めてもゼロの日はない。
しかしながら、不思議な事に続けているとつまらない説教染みた気持ちはなくなり無心になっていきました。気持ち良い!
昨日の東京新聞11版「社説・意見」に法政大学前総長 田中優子氏が時代を読むと題して見出し"市民のちから"
韓国の市民や議員、メディアから始まり日本の政治状況に触れ考える力のある市民がもっと関与しなければならない。と述べられた。
その後、内田樹氏が書かれた前出の同欄での内容を載せられていたのが私にもよく理解できた。具体的で例えようが分かり易い。
田中優子氏も深くうなずいたそうです。
『田舎の道にある無人販売所のたとえで、今の日本社会をずばりと表示している。ふつうの人はりんごを取って代価を置いていく。
それに対して、そこにあるりんごと代金を盗んで行く者が出現して高笑いをする。
すると…そういう人間を「賢い」とほめる者が出てくる。選挙という現場で起きている。「市民全体が泥棒である」前提で社会のルールが決められていく。
彼女の意見は金や票の盗人たちは法律の網目をかい潜り「頭が良い」と言われる。
高学歴もそうでない者も学歴詐欺者も、もはや横並びだ。
江戸時代では学問がまともな人間になるために存在した。
未来の社会にとって成熟とは何か多くの人が声を出す時代にきている。』
田中優子:日本の江戸文学・江戸文化・比較文化研究者
シビアです。地道にコツコツ生きてきた人間には彼等は情けなく哀れですが返す言葉を持ちません。
『コールドムーンには家族愛やクリエイティブに関するスピリチュアルなジンクスがあるとされています。
1年の最後の月ということで、その年を振り返るような願い事も良いでしょう。 』
"若い方々に繋がって欲しい"私自身の淡い希望は淡雪のように溶けてしまった。