母に見せたい景色~シェムリアップ・プノンクノン~
1人で夕陽を眺めていたら、母にこの美しい景色を見せたくなって、ビデオ通話のボタンを押しました。
約3ヶ月ぶりに見る母は、病気による顔面麻痺していて別人の様でした。
それでも笑顔で、
母「さいきんは、すこしあるけるようになったし、ことばもはなせるようになってきたんだよ。ほら、パ、ピ、プ、ペ、ポ」
大きく曲がった口をパクパクしながら、相変わらずの笑顔で話しかけてくる母。
相変わらず、周りを明るい雰囲気にする天才だなぁ·····と思います。
毎週末、姉が実家に来て料理を作ってくれているそうで、姉とも会話ができました。
atu「姉ちゃん、ありがとうね。姉ちゃんが毎週来てくれてるって聞いて安心したよ。俺はなにもできないから·····ごめんね。」
姉「いいんだよ。あつもカンボジアで頑張ってね。」
姉とまともに会話したのはいつ以来だろうか·····。姉弟の不仲を、母の病気によって緩和したのであれば、「人間万事塞翁が馬」という言葉にあるように、悪いことばかりでは無いのかもしれません。
父にもビデオ通話でカンボジアの絶景を見せてあげることができました。
父は、今年9月末に仕事を辞め、母のサポートと全ての家事をしているそうです。
相変わらず、父親は母さんが大好きなんだなぁ·····と思いました。
私の両親は小学校の同級生で、父の初恋が母だったと聞いています。(母談)
明るくて社交的でおてんば娘な母と、寡黙で冷静沈着で仏のように優しい父。
性格が全く異なる2人が結婚したことが不思議で仕方なかったのですが、ようやく今わかったような気がしました。
ビデオ通話の後、夕陽を眺めながらずっと母のことを考えてました。
我が家には、昔話全集やイソップ物語、グリム童話などが沢山あって、母は毎晩寝る前に読み聞かせをしてくれました。
母の優しい声に安心して眠りについていた記憶があります。(大抵2冊目の途中で夢の中)
夜、起きると私が声をかけなくても母も起きて、一緒にトイレに行ってくれました。
私が園児の頃、母が風邪をひいて寝込んでいたので、私はリンゴを剥いてあげようと、包丁を手にしました。リンゴが滑らないように手でしっかり掴んでザクっとリンゴを切ると、掴んでいたリンゴの下の手の指もざっくり切れました。
体調が悪いにもかかわらず、母はニコニコしながら
母「リンゴを剥いてくれようとしたのね。ありがとう。嬉しいわ。」
と言って私の指に絆創膏をはってくれました。
私が児童の頃、サンリオピューロランドで、ランダムに与えられたアイテムを使って演技をするというイベントがありました。
母はちょんまげのカツラを選びがステージで笑顔いっぱい踊ってました。その姿は今も鮮明に覚えています。(ちなみに、会場を最も盛り上げたとして、特別賞とオリジナルグッズをGET)
私が高校生の頃、学習参観日がありました。授業中、なんだかクラスがざわつきます。
生徒①「おい、マジかよww」
生徒②「ねぇ、誰の親?」
生徒③「めっちゃ、若くない?」
私がふと、後ろを見るとそこには笑顔で私に手を振る母がいました。
高校3年生になると、親はパタリとこなくなるもので1日の参観日の中で参観に来たの全体では3名(私のクラスに来たのは母のみ)で、みんな母が誘った保護者だったそうです。
母は学校行事や保護者会などに必ず出席する人でした。教師になった今、仕事の都合などで保護者会に参加することが難しい保護者が沢山います。母が我が子のために時間を作ってくれた事の意義を、今になって身に染みて分かるようになりました。
高三の冬、スマトラ沖地震の支援のためにタイに行きました。日本に戻ると、両親は高速バスのバス停まで迎えに来て、笑顔で「おかえり」と言ってくれました。
社会人になって、家を出ると
母「マヨネーズが安かったのよ😄」
と言って、様々な食材を家に届けてくれました。
何歳になっても、母にとって我が子は子供なのだと思います。
子供の頃、迷惑ばかりかけた私ですが、日本に戻ったら親孝行をしたいです。