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今の世の中、求められているのはセンタクリョクだ。

小さな子供の欲求はストレートだ。

 ・食べたい
 ・遊びたい
 ・欲しい

自分の今やりたいコトを満たそうとする。


大人はどうだろう。

ここでは情報に対する欲求に絞って考えてみる。

インターネットの普及によって、欲しい情報は難なく手に入れることができるようになり、日常的に意図しない情報も目に飛び込んでくる。

SNSのタイムラインにはあらかじめ登録した興味のあるコンテンツから止めどなく情報が流れてくる。


小さな子供は周りにいる親や先生、年長者達から欲求をコントロールすることを学ぶ。

我慢を覚えていくといっても良いかもしれない。同時に、欲求を満たすためにはどうすればいいかを考え、工夫する。

そうやって社会で生きる術を会得していく。


大人は情報の波から必要なモノだけを選択する必要がある。

取捨選択しないと膨大な情報の波にもまれて、頭の中が洪水状態で気づいたら必要なモノも一緒に流されていたなんてことが起こる。

ネットサーフィンとは上手く言ったもので気分良く波乗りしていれば、自分が求めるかぎり欲求を満たしてくれる。

しかし、これがいざ獲物を求めて海原に出たときには波乗りではなく、一本釣りをしてすぐに寄港しなければたちまち波にのまれてしまう。
恐ろしい世界だ。


ネット環境に身を置くということは便利さと引き換えに
『自ら選択する力』
が求められているようだ。



選択力=洗濯力!?

自らすすんで【洗濯】をしだしたのはいつからだろう。

当然家には洗濯機があり、洗剤をいれて「ピッピッピッ」とボタンを押せば洗濯はできる。簡単だ。

でも家族と生活を共にしていればまとめてやってくれるのが当たり前。自分のモノだけ分けて洗うなんて事をしていなければ、
家族と離れて暮らす=大人になってから洗濯をしだしたというのは僕だけではないだろう。


自ら洗濯をしだすのと時を同じくして、社会の海でネットの波から様々な選択をしていく。


今の大人にはそんな【センタクリョク】が求められいるんだなぁと思う。

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