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因果応報〜その真理〜

例えば人は、

嘘をついたら
嘘をつかれることが返ってくる

誰かを罵ると
罵られることが返ってくる


優しさを与えれば
優しさが返ってくる

肯定や愛にも
同じことが言えると

人は因果応報をそう思い

誰かは"罪"に怯えて生き、
誰かは"喜び"を期待し、
誰かは何も"関心"すら持たないだろう。




誰かは言う。

「なんで私にこんなことが起きるんだ!」と

その出来事に嘆くことがある。



だけど、真実はこうだ。



神様とやらは、
誰のことも罰してはいない。


ただあるがままに、

痛みも

混沌も

優しさも

歓喜も


すべてをあるがままに

ただ存在しているだけで、




3次元的な天の存在(高次元)の介入は
確かにあるけれど、


でも、この因果応報とか
宇宙の仕組みそのものを変えようだとかは
さらさら思ってもいなくて


ただ、

あるがまま


それを"している"

あるいは"していない"



この慈悲の深さが分かるだろうか?



スピリチュアルで言われている宇宙も、

ノンデュアリティで言われている
"わたしはいない"にしても、


ただ"ある"が"まま"



因果応報は
3次元の罪や得とも考えられる。



だけれど、
"存在"から見れば
(見るでもないが)

罪でも得でもない。



ただ、ある

そのままに。




これがいったい

どれほどの愛か、


ほんの少しだけ

感じてみるのはどうだろう?



きっと、

真の"わたし"とやらに

気づいている。



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