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年明け早々より・・
(このマガジン記事の投稿もいまのところ、ひと月に2~3回という頻度になってしまい、さすがに日記とは呼べないようなものになってきてしまったので、ここらであらため、マガジンタイトルを「私日記」から「私記」あたりに変えようと思います・・。まあ、いわゆる”身辺雑記”というようなところです・・。)
年が明け、はや一か月が過ぎてしまった。この冬も以前のような寒さを感じることもあったが、基本的には暖冬であった気がする。さらに、浜松という町に暮らしているともはや、雪とはほぼ無縁の生活だ。いずれ暖冬が当たり前となり、寒い冬をわざわざ"寒冬”などと呼ぶようになってしまわないだろうか。
さて、そんな冬の最中、わが畑の野菜たちはそこそこの雨も吸い、すくすくと育っていいはずなのだが、そうはならなかった・・・。これはどうも畑の土の硬さや養分不足からくるものであると思われる。肥料を入れず、耕しもしない”自然農”という農法が上手くいくにはもう少し時間が掛かるようだ。実際、数年やり続けている場所ではそこそこ育っているので、2~3年でその成果が出てくるのではないかと思っている。
一方、正月明け早々から母が事故に遭った。車で1時間半ほど離れた焼津という町に一人で住んでいる母は、2~3年前から認知症が進み、話をしていてもすぐに同じ話を繰り返すようになってしまっていたのだが、体だけは元気だった。ところが、寒さに耐えかねて電気あんかを点けて寝たところ、低温やけどになってしまったのだという。幸い、夕食に誘ってくれていた親戚の方に気づいてもらえ、すぐに病院で処置をしてもらえたのだが、気づいてもらえなければ一人で病院に行くこともなく過ごしてしまっていたかもしれない。とにかく、なんとか歩けはするが、通院と塗薬の生活が始まったわけである。
しかし、認知症が進んでしまった母のこと、大事な塗薬ができない。塗るのを忘れてしまうこともあれば、場所がふくらはぎなので上手く塗れないということもある。さらに、しばらくは足が痛くて買い物にも出掛けられない。これはどうしたものか、と思っているところに渡りに船というか、天の配剤というか、先の親戚の方が家で面倒を見るよ、と言ってくださった。というのも、この親戚の方の家にも認知症のお母さんがおり、以前から母とは仲良くしていたために、一緒にいればいいじゃん、ということになったのである。
こうして80歳と90歳の認知症二人の生活が始まった。とはいえ、朝と昼の食事は娘さんが用意をしてくれ、夕食も娘さんが仕事から戻ってきてから用意をしてくださるので、二人は昼間、ただただお喋りなどして過ごしているだけである(お互い認知症なので同じことを繰り返し話しているそうだ)。わたしは休みを利用して様子を見に行ったり、母のケアマネさんと相談をし、今後、どうしていくのかを話したりしているのだが、車で1時間半ほどかかることもあり、行くのは1か月に1回ほどのペースになりそうである。ただ困ったことに母がほとんど動かなくなってしまったようで、親戚の家にいることもあって、風呂に入らず、洗濯もせず、着替えもせず、ただただ90歳のみっちゃんと寝ておしゃべりをしているだけのようなのである。
暮らしていくにはひと安心、といったところだったが、今後、元の暮らしに戻れるのか、という心配が生まれてしまった。「もう、どうなってもいいわよ」などと、半分、あきらめ気分も出てきた母に対し、できれば少しでも自分の力を発揮してほしいと願うわたしや周囲の人たちの想いは今後、母にどう届くのだろうか。