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仕事を”生きがい”とすることへの体験と気づきについて

臨床開発という役割

2001年3月、私は東京理科大学大学院薬学専攻衛生化学研究室を修了し、同年4月に中外製薬株式会社の臨床開発部 に配属された。

最初に担当した化合物は、インターロイキン6(IL-6)受容体抗体の「トシリズマブ」 だった。私はこの化合物の関節リウマチに対する有効性と安全性を評価する第Ⅱ相臨床試験 に携わることになった。

医薬品の開発には、大きく3つの段階がある。大まかに説明すると以下のようになる。

  1. 第Ⅰ相試験 :健康な成人男性を対象に、安全性や薬物動態(吸収・代謝・排泄)を調査する

  2. 第Ⅱ相試験 :実際の患者を対象に、有効性と安全性のバランスを評価する

  3. 第Ⅲ相試験 :第Ⅱ相試験で最も効果的かつ安全性の高い用量を用い、既存の治療薬と比較する

治験(臨床試験)の詳細を知りたい方は以下のサイトなども参考にしてください。

ちなみに、医薬品の開発には10年以上の時間と数百億~数千億円規模の費用が必要とされ、難易度も高く、第Ⅲ相試験まで到達する化合物は1万分の1 の確率と言われる。さらに、市販されるまでに至るのはその中の3つに1つという狭き門である。製薬の世界では、「医薬品開発は挑戦の連続」であり、常に成功の保証がない厳しい世界だった。

そんな中、私は12年の臨床開発キャリアの中で、2つの新薬の開発に携わることができた。私は本当に幸運だったと思う。


2003年、オーランド—アメリカリウマチ学会での衝撃的な体験

私の臨床開発キャリアの中で、最も心を揺さぶられた出来事がある。

それは2003年、アメリカ・オーランドで開催されたアメリカリウマチ学会 に参加した際のことだ。この学会では、トシリズマブの関節リウマチを対象とした第Ⅱ相試験の結果 が発表され、世界中の専門家から大きな注目を集めた。

しかし、それ以上に私の心を動かしたのは、小児リウマチ(正式には若年性特発性関節炎(JIA))に関する試験結果の発表 だった。

若年性特発性関節炎(JIA)は、18歳未満の子どもに発症するリウマチ性疾患で、小児慢性特定疾患に指定されている難病 である。当時、この疾患に対する治療法は限られており、多くの患者が大量のステロイド剤による治療を受けていた。

だが、ステロイドの長期使用は、骨の成長を抑制し、身長の伸びを阻害するという深刻な副作用を引き起こす。さらに、「満月様顔貌」と呼ばれるステロイド特有の副作用により、顔が満月のように丸く膨れてしまうこともある。当然のことながら、子どもたちは学校に通うことができず、病院内の小児科病棟でその大半を過ごすことが日常である。

幼い頃からリウマチと闘う子どもたちは、関節の痛みだけでなく、「成長が止まる」という人生への影響 まで背負わされていた。また、保護者にとっても、「我が子に難病を背負わせてしまったのではないか」 という必要のない負い目に苦しむだけでなく、幼少期の本来の表情や笑顔を見ることができない という悲しみを抱えることになる。この疾患は、患者本人だけでなく、その家族にとっても残酷な現実を突きつけるものであった。

そんな中、トシリズマブは若年性特発性関節炎に対して劇的な効果を発揮し、ステロイド剤の使用量を減らすだけでなく、副作用の軽減にも寄与した。その結果、育ち盛りの子どもたちは正常な成長を取り戻し、学校に通うことが可能になった。さらに、運動会でかけっこをしたり、プールで遊ぶこともできるようになり、健常な子どもたちと変わらないほどに回復するだけでなく、満月様顔貌から解放された子どもたちは、まるで別人のようだった(それが本来の彼らなのだが)。まさに夢のような報告だった。


スタンディングオベーション—「私は人の人生を救っているのだ」

この報告に世界中の小児リウマチ専門医が、発表の結果に驚き、そして感動し、スタンディングオベーションが巻き起こった

「医薬品が、人生を変える瞬間」を目の当たりにし、私は胸が熱くなった。気づけば、私の目からは涙がこぼれていた。

このエピソードを語るたび、私は今でも涙を堪えきれないことがある。

なぜなら、あの瞬間、私は確信したからだ。

「私の仕事は、人の命=人生を救っているのだ」

この仕事の責任の大きさを改めて実感し、「薬を待つ人のために、私は一瞬たりとも歩みを止めることはできない」 という覚悟が生まれた。


一つの薬が世界を変える可能性

製薬業界は、成功の保証がない厳しい世界だ。開発に携わる化合物のほとんどは市場に出ることなく、日の目を見ないまま消えていく。

しかし、たった一つの薬が、人々の人生を根本から変えることができる

私は、その可能性を信じていたし、この経験によって、さらにその思いが強くなった。

「挑戦し続けることで、いつか誰かの未来を変える。」

トシリズマブの開発を通じて、私は「薬を開発することは、未来をつくること」だと心から実感した。

この出来事は、私のキャリアだけでなく、生き方そのものを大きく変える転機となった。

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