東京とジュビロと徒然日記
私はこのnote上でFC東京を応援していると公言しているが、そもそもJリーグを好きになったのは
2002年のジュビロ磐田がきっかけだった。
中山、高原、藤田、名波、福西、服部、西、田中
鈴木秀人 大岩剛 ヴァンズワム このスタメンが見せるN−BOXに魅了された一人だ。山西、河村、ジウゴヴィッチ、グラウ、川口信男 サブも好きなくらい鈴木政一監督の下、ほぼ日本代表が見せるサッカーに画面越しで薫陶を受けた。
思えば初めてJリーグを観に行ったのが、2003年のJ1 1st stage 第13節の柏レイソル戦。
国立霞ヶ丘競技場で見た試合で藤田俊哉が決勝点を決めた。その試合で中山は欠場し、出場していたのが若き日の前田遼一だった。
彼は12年後、東京に来ることになるのだがジュビロ、一時は代表のエースまでになった。彼の寡黙だが、頼れる点取り屋気質なところが大好きだった。
2003年からは、F・マリノスが覇権を握ったが私はどうしても守備的なサッカーが好きになれなかった。
石川ナオを知ったのもこれくらいの時期。
ジュビロが見せる理想かつ最強のサッカー、そしてそこで台頭し始めた遼一、東京、アンダー代表のサイドを駆け抜ける石川ナオ。
全てが鮮明に焼き付いている。
ジュビロが強さを失ってからは、自分の理想とするサッカーを追い求めた。
ただ、理想とするサッカー選手は常に変わらなかった。石川直宏 彼ほど尊敬できる選手はいなかった。彼が怪我をして離脱したり、代表に選ばれない時はつらかった。
遼一は一方で、過去の栄光を取り戻そうと抗う
ジュビロの絶対的エースになりつつあった。
2015年にナオが怪我するまでの約半年間彼らは同じピッチに立つことが何度かあった。
思えば2人は同世代。アテネ五輪を目指して戦ったヤングヒーローがベテランとしてチームを引っ張る姿勢には胸を打たれた。
私はいつまでも、ジュビロみたいなサッカーを探してしまう。本当であれば東京にそういうサッカーをしてほしい。昨年マリノスがポジショナルプレーで、理想に近いサッカーをやってしまった。
正直、東京のサッカーには戦術的に惹かれない時もある。むしろ夢を見せられると痛い目に遭ってきた。ただ、東京には人間としての魅力というか、ドラマがある。
だから、私は東京のストーリー、フットボールクラブとしての可能性に共鳴する。
ナオ、遼一のほかにも魅力的な選手、OBたちが
トーキョーにはいる。
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