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footcaregiver養成講座高齢者ケア・フットケア担当講師






阿邊 里恵  
footcaregiver養成講座校長
一般社団法人ひときたしゃべる代表理事
 訪問フットケア&コミュニティフットケアサロン代表 

・介護福祉士
・保育士
・介護支援専門員
・旧ホームヘルパー1級
・社会福祉主事任用資格
・JNA ジェルネイル検定上級他

【担当】
フットケア
高齢者ケア
コミュニティケア



講師になろうと思ったキッカケ

  1. 家族介護の経験から

 私の母は私が中学生の頃より入退院を繰り返し私が24歳の時に他界しています(享年54歳)。自宅で暮らす最期の期間は歩くなどの身体を動かす動作をすることで直ぐに呼吸が苦しくなるような状態でしたが最期まで歩くことにこだわり、そしてトイレで排泄をすることをしていました。入院中も看護師さんからは体調が思わしくなく歩行も不安定なため1人で歩くと危ないかのでナースコールで呼んでくださいと言われていたそうですがトイレに行きたい時は看護師さんに黙って1人でトイレに行っていたそうです。母が他界してから病棟にあったメモを何気に覗くと「歩けなくなって悔しい」と記されていました。私たちの前で弱音を吐くことは殆どない母でした。そんな母が残したこの言葉と、本当に悔しさが伝わってくる母らしくない筆記体でした。
人が歩けなくなる時の悔しさの度合いを母より教わりました。

突然の余命1ヶ月を告げられた義兄からも、最期まで足を使い人はトイレに行きたいという想いを教わりました。検査ができない程、病状は進行しており末期癌疑いでした。最期は私の実家で過ごし他界する3日前まで身体を起こすのもやっとという状態の中「トイレにどうしても行きたい」という強い意志。父と2人で義兄をベッド脇のポータブルトイレに座らせることができました。この時、足底を床につけ一部介助にて立位を保つことができていました。足に、より力を入れやすいように足の爪や足裏などの機能を維持するためのケアや足元環境を整えておくことは最期までその人の暮らしを支えることにもなるのだと義兄が最期に私に教えてくれたことです。在宅での療養が始まり介護保険の申請をまだしていない時でした。義兄の足の爪を切る機会がありました。その時に「こんな身体になって分かったけれども、里恵さんみたいな仕事をしてくれる人がいることで有り難く思う人はいるよ。」と言われました。義兄が残した言葉はその通りでした。フットケアの仕事を自分で始めるようになり、地域にはさまざまなご病気などにて自分で足の爪を切ることや足の清潔を保つことが難しい方がいらっしゃるということを仕事を通してお客様から教えられています。


上靴が原因のひとつとなった祖母の転倒。高齢者ホームでお世話になっていた時に
トイレの介助を受けていた際、介護士さんと共にトイレで倒れ腕を打撲しました。
転倒直後は面会に行くたびに祖母から「トイレに行きたい」と言われ職員の方に伝えるもオムツをしているのでという返答ばかりで24時間ベッド上での安静の暮らしが続きました。2週間後には私の顔も分からなく言葉も発しなくなりました。いつしか食事も1日1食、数口しか食べられていないという情報を耳にし転倒後3ヶ月後に祖母は他界しました。あまりにも早い死。いつかは誰もが訪れる死ですが、自分の身内だからなのか余計に転倒→尿意があってもオムツ・寝たきり・安静→家族のことが分からなくなる→言葉が殆ど聞かれなくなる→眠っていることが多い→食事が殆ど摂れない→死の過程の速さを痛感しました。もう少し靴にまで目がいっていたら。もう少しフットケアを早く学んでいたら、もう少し祖母は生きられたのかもしれないと後悔は私の中にありました。介護に携わる上で動作の軸となる足や靴に対しての知識や学ぶ場があることで防ぐことができる転倒、骨折、寝たきりもあるのかもしれないということを多くの介護に携わる人に知ってもらいたいと思いが募りました。


2.各地に暮らす高齢者の笑顔を増やすため
より長い生涯介護を必要としなくても暮らすことができるように、高齢者ケアのひとつの方法として「フットケア」があるということを各地の受講生に広めることで各地で暮らすシニア世代が自分の住みたいところで、より楽しくより笑顔多く暮らすことができるように。介護が必要な人には、より快適な足元になることで足の爪や足のゆび、足裏などの機能の維持や向上などといったことにつながるように。そして「幾つになっても綺麗な足元でいたい」という願いを叶えられる人も増えるように。シニア世代により多くの笑顔を増やしていくためにはフットケアを多くの人に学んでもらいたいと思いました。これは片道2時間への山間部への訪問も含めた訪問フットケア。そしてコミュニティフットケアサロンでのお客さまからの悩みや言葉を聴き、そして困っていたという足部や足爪を観てきたから言えることです。いずれ誰もが高齢者になります。高齢者になってからではなく高齢者になる前から、足の爪切りが原因となる足爪や皮膚のトラブル、痛みが起きないよう適切な足の爪切りなどのセルフケアの習慣化を家庭などでも根付かせることで備え(予防ケア)る意識付けも広める必要があると思っています。なぜなら、地域の中には足の爪の治療や爪をケアしてくれる所がない所も存在しますので。


3.介護士養成課程、介護職員初任者研修等でフットケアを学ぶ時間の確保が十分にできないから 
私は特別養護老人ホーム、デイサービス、有料老人ホーム等で介護士、介護支援専門員、相談員等として約16年勤務してきました。足の爪を切ってあげたいけれども
普通の家庭用の爪切りでは切るのが難しい巻爪や肥厚した爪。看護師さんも切ることが難しいと諦めざる負えない足の爪を多々見てきました。そして私の学生時代は足の爪切りの実践、ヤスリの掛け方、靴などについてのカリキュラムがありませんでした。最近介護系の学校を卒業した20代に話を聞くと足の爪切りに関しては学ぶことはなく、手の爪切りを学生同士でするくらいの取り扱いだということでした。就職してから、いざ高齢者の足の爪を切る場面になっても怖い、できないのも当然のことだと私は思います。介護福祉士養成課程、介護職員初任者研修等のカリキュラムは決まっております。フットケアの領域は広いためカリキュラムに入れることは無理難題なことだと思います。だったら、既に介護福祉士や介護職員初任者研修を取得している人もフットケアだけ学ぶことができる場を創ろうと思ったのです。
そして同じ介護士だから伝えられる視点もあると思い高齢者フットケア、予防フットケア、そして高齢者ケア等の講師をfootcaregiver養成講座では担当いたします。



なぜ訪問フットケア・フットケアサロンを始めたのか?

2018年に地元仙台にて訪問フットケア店(フットスタースマイル)を開業しました。私はネイルサロン、ドイツ式フットケアサロンでも短期間でしたが勤務していたこともありました。フットケアサロンに勤めていたときに車椅子でご来店する方が意外に多くいらっしゃいました。バリアフリーではない建物にあった店舗だったためエスカレーターを3人掛かりで抱えてお客様を見送ったことがありました。これを機におひとりで外出が困難な方にも身近に足のケアを受けられる環境を創りたいと思い訪問フットケアを始めることにしました。そして新型コロナウィルスと向き合い、視点を切り替え2020年来店型によるフットケアサービスを代表を務める法人のコミュニティスペースにて始めました。


サロンでの施術中



山間部への訪問の様子


沖縄の介護士さん等に研修を開催した翌日、急遽沖縄のおじちゃん、おばあちゃんの爪切り講習に。



私のこれまで。

仙台市出身。同居していた曽祖母。裁縫が得意で雑巾を作っては小学校に寄贈することを生き甲斐のようにしていました。当時でいう痴呆症も少し患わっていましたが最期まで大きな病気もすることなく自宅でピンピンコロリと私が4歳の時に家族に見守られて曽祖母は息を引き取りました。その後祖父、母、祖母、義兄の家族介護にも携わり看取ってきました。今でいう元ヤング、若者ケアラーでした。高校時代は進学校に進むも勉強と家事などの両立が不器用でした。行きたい大学もありましたが入退院を繰り返していた母のことが気掛かりで地元から近い福祉系の3年制短大に進学しました。今となっては、この道を選んだことで今の仲間や環境があるのだと自分の選んだ道へ後悔することなく生きていますし、この道を選んで良かったと思えています。2020年に一般社団法人ひときたしゃべるを設立。故郷、仙台市人来田(ひときた)地区の竹林、畑、自然物等も活かしながら。そして地域問わず自宅で暮らすシニア世代の得意な手しごとを通して社会貢献、社会参加、多世代交流、学び場等の場創りをしています。


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