練習すれば上手くなるかの問題について
アシスタントコーチを始めて約4ヶ月が経過。
最近、noteの更新が滞っているけどここまで楽しく、かつ選手の成長と自分自身の成長を少なからず感じられる充実した時間が過ごせている。
指導を楽しむ反面で、答えの無い問いの連続で、日々考えさせられることもある。
今日の日記は某試合のエピソードに基づく、1つ大事な論点について綴りたい。
練習をすればサッカーは上手くなるか?
これが今日のシンプルな問いだけど奥の深い論点だ。
先日、某学年の練習試合に帯同した時のエピソードだ。
チームは前半先制されるも、後半に2点をとり見事な逆転勝利。
選手も応援に来てくれた保護者も劇的な勝利に喜びを爆発させている中、1人悔し涙を流す選手がいた。
彼は、以前このnoteでもこの学年を強くする上で、勝手に私がキーマンだと思った、練習やサッカーに対して誰よりも真摯に向き合い練習を怠らず努力してきた選手だ。
練習の賜物でボールタッチは柔らかくサイドでのドリブルが特徴的な選手だけど、体が小さく、この日はドリブルがうまく機能せず、相手におさえこまれ、後半途中でベンチへ退いた。
そして、彼がベンチへ着いた後にチームは逆転勝利。
取り乱して涙を流す本人に多くの声はかけなかったけど、おそらく自分自身のパフォーマンスに納得がいかず、勝利に貢献できなかったことが悔しくて泣いていたというのが私の想像だ。
ここで、私がふと思ったこと。
コーチや親が子どもに対してよく言う、「練習しないとうまくならないぞ!上手くなるために練習頑張ろう!」という言葉は真実なのか?
悔し泣きをした選手は、私が見る限り練習中の目つきや集中力は誰にも負けていないし、練習前後もコーンを使ったドリブルやリフティングなど黙々と努力している。
正確には努力ではなく夢中といった方が正確で、努力を努力と感じていないタイプだ。
私なりの結論
練習をしないと上手くならないのは真実だろう。
だけど、練習を頑張らなくても、身体能力やキックの力で他を圧倒できる選手がいるし、練習をどれだけ頑張っても、試合で相手を簡単にかわせるようになるには時間がかかる選手もいる。
そんな中で、上手くなるために練習を頑張れとコーチングすることと同じくらい、練習をしてもそんな簡単にサッカーはうまくならないという厳しい現実を気付かせることもコーチの大事な仕事ではないか。
たぶん、その現実を意識的でも無意識的でも受け入れた上で、努力できる選手か否かで成長のレベルを一段上げられるのではないか。
子ども本人の体格や性格、運動神経、サッカーを始めた年齢によって上達のスピードは人それぞれだ。
ドリブル、パス、ディフェンスなどスキルによっても上達スピードは大きく異なるであろう。
今の日本代表に大学サッカー経験者が多いように、彼らの大半は高校やユースを卒業してもプロになれず、大学を経てプロへの切符をつかみ、結果的に日本代表に選出された。所謂、遅咲きの選手だ。
これも成長スピードが人によって異なる際たる例だ。
再度、自問してみよう。
今回、練習で悔し涙を流した選手をはじめ、子ども達にかけるべこ言葉として「上手くなるために練習するしかない。」が果たして正解なのか?
生きる力と社会の壁
サッカーに限らずスポーツは、生きる力を養うには最高のツールだ。
大人になって社会に出たら気づく、努力では乗り越えられない大きな壁というものが無数にある。
指導者として練習を促すことを否定するつもりは全くないが、それと同じくらい努力をしてもそんな簡単に点もとれないし、ドリブルで相手もかわせないし、努力が報われるまでの時間には個人差があるということも子どもに上手に教えてあげる(気づかせてあげる)べきではないか。
(私が勝手にキーマンと考える)この選手のエピソードは私の指導者としての経験値をUPさせてくれた。
指導者なのに、こっちが教えてもらった気がする。