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【小噺】バレンタインの期待

 生まれてこのかた、バレンタインデーチョコというものをもらったことがない。おそらくこの歳になるまでもらったことがない人数と、『トトロ』を見たことがない人数では良い勝負ができるのではないかと思う。

 当然「お母さんからもらったぜ!」みたいな世界の話はしていない。
 
 三つ上の兄は僕が推察するに恋人がいなかったことがない。兄が小学生の頃のバレンタインデーで、家の前に三人の女子が待っていたことが衝撃的で忘れられない。
 当然兄は、バレンタインデーでチョコをもらえなかった経験などしていないだろう。

 双子の弟がいる。彼も恋人に困った経験をしていないはずだ。欲しい時にはちゃんといたし、学年一の美女と交際をしていた際は「恋人という感じではなくて、遊び相手としての方がちょうど良い」という理由ですぐに振っている。
 彼もバレンタインデーにはチョコをたくさんもらってきていて、そのあまりを僕が恵んでもらっていた。二卵性とはいえ、同じ日に同じ腹から生まれてきたというのに。

 そんな悲惨な状況でも僕が毎年バレンタインデーチョコに期待してしまう理由がある。それは、誕生日がバレンタインデーの前日だからだ。

 誕生日とクリスマスが近い人は、プレゼントが合併されて一つしか貰えないというような話をよく聞く。「そんな可哀相に」と思って話を聞いていたけれど、そのルールがありというのであれば、誕生日プレゼントとバレンタインチョコを合併してもらえるのではと僕は思った。

 バレンタインチョコとして渡すのが憚られるのであれば、誕生日だからという強力なバックアップ口述があるのでそれを使って渡してくれれば、幾分か渡しやすいのでは?と浅はかなことを考えてしまうのである。

 でも、誕生日プレゼントをくれる人って、バレンタインチョコもくれるだろうし、バレンタインチョコをくれる人って誕生日プレゼントもくれるよな。

 バレンタインデーと誕生日が近くて得したことは、有村架純さんと同じという5秒間の会話を生み出すことができることと、覚えてもらいやすいということだけ。覚えてもらうだけで何か恩恵を受けたことはない。

 それでも少し期待してしまう自分がいるのが切ないし、今年も、淡い期待は雪のように溶けていくのだと思う。

 今年もメルティーキッスだな。雪のような口溶け。 


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