新春を寿ぐ〜仲が良い友達と旅行に行ったら仲が悪くなった〜
松・竹・梅
といえば今では、おめでたいものの象徴ですが、もともとの意味は少し違ったようです。
松は冬でも葉を茂らせ、竹は雪の重さにも折れない、梅は寒い中他の花の魁として綺麗な花を咲かせるもので、このように冬の時期に強いことからこの三つは「歳寒の三友」と言われています。これらは絵の題材としてよく用いられ、日本でも江戸時代によく描かれたようです。
というのも、友人と京都へ二泊三日の旅行へ行ってきまして、二条城では新春のイベント「新春を寿ぐ〜松竹梅〜」としてこの松竹梅が描かれた障壁画の原画が公開されていて、しっかりとこの目に焼き付けてきました。壮大さ、時間の悠久さを感じました。500年前の人間が描いたものが今こうして目の前にあるというなんとも不思議な感覚が今でも残っています。
僕も
こんなことになるなんてと思いましたよ。
僕の大学時代、ほとんどの時間を共にした、部活で一番仲の良かった友人と旅行に行って、どうして険悪な雰囲気になっているんですか。
金閣寺に行ってツーショットを撮ってもらおうとワクワクしながら1日目の夜、ベッドの上で話していたじゃないですか。
それがですね、金閣の敷地内での会話ゼロ。僕はどうにかして会話をしたくて、「うおー」とか「すげー」とかぶつぶつ呟いていましたが、それも呟きに終わりました。
この旅行の
一番の目標はその土地を全身で感じることでした。だから一番時間に余裕のある二日目は自転車を借りて、いろんなところを自転車で周りました。銀閣とか伏見稲荷とか金閣とか。
バスでも車でも徒歩でもない、この土地をこの体で感じることができる一番最適な交通手段が自転車だと思ったのです。
京都は教科書で習った通り碁盤の目のようになっていて、一度まっすぐ進んだら当分まっすぐ進みます。山に囲まれているので坂道も多いです。自転車で疾走し下り坂で風を感じることで、少しばかり京都人になれた気にさせてくれ、少し汗ばんだ体を涼めてくれて気持ち良いものでした。
「京都の人しか感じない風だぁー、楽しぃー」
と言いながら下りました。
下り坂の次にくる上り坂は京都という街が山に囲まれたことを実感させてくれました。合計で2時間近く自転車で京都を巡りました。体を動かして多少の疲労感はありましたが、京都を全身で感じたことの証明としての疲労感でそれも心地よかったです。
しかし
友人は全く違った価値観をもっていました。
金閣の駐輪場で彼は言いました。
「絶対車の方が速いし、疲れない」
彼にとっての自転車はただ、徒歩より速くて車より遅い移動手段の他ならなかったのです。移動時間はその土地を感じるものではなく、ただ疲れるものにすぎなかったのです。
疲労も溜まっていて口数も少なくなり、僕の悪いところをつらつらと話し始めました。僕は笑って聞き流していましたが、自転車を借りたいと提案したことの自責の念が込み上げてきて、悪口を言われたことでもっとネガティブになり、今にも泣き出しそうでした。
そういうわけで無言の金閣寺になったわけです。
それから
翌日になっても気まずさが残っていて、心から楽しむ余裕はありませんでした。そんな中、最終日に二条城へ行って「歳寒の三友」についての障壁画に妙に引き込まれました。
この時、ハッとしたのです。彼の苗字、「竹」がつくのですが、僕には松も梅もつきません。
「それでは「歳寒の二友」にも及びません。」
と悠久の時を超えて怒られているようでした。
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