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【オシム監督の一周忌に寄せて】それでも、人生は続く

あの日から一年が経って

そのニュースが届いた時の喪失感は今でも覚えている。あれから1年経ったとは思えないほど、鮮明に。

オシムがジェフの監督に就任するというニュースが届いた時のことを驚きや衝撃を持って覚えている人は多くはないだろうと思う。
少なくとも2003年当時、90年イタリアW杯でユーゴスラビア代表を率いた指導者であることや、その後のボスニア内戦での苦難、欧州で指揮したクラブをチャンピオンズリーグを戦う程の強豪へと押し上げた実績などを詳しく識る日本人は、サッカージャーナリストの中でもごく僅かではなかったかと思う。

オシムの実績と手腕に疑いようがないことは、指揮したジェフユナイテッド市原・千葉が、Jリーグと日本サッカー界に衝撃と変革を及ぼしたことで証明された。

それだけなら、他のJクラブにもいる功労者のひとりにとどまっていたかもしれない。
オシムがただの「ジェフに初タイトルをもたらした監督」にとどまらないのは、彼の影響力がジェフや日本代表はおろか、ある意味サッカーを超えて日本の社会にまで及んだからだと思う。

ジェフは、そんな偉大な人物が指揮していたクラブなんだと、当時を識るサポーターは皆誇りにしていると思うけれど、いまのジェフの現状を見るにつけ、当時との落差に不甲斐ない思いを募らせてもいるのではないかとも思う。

オシムに合わせる顔がない。J1に昇格を果たせぬまま、永遠の別れになってしまった、と。

ジェフに”哲学”はあるか

あの日から1年、ジェフは今もJ2を戦っている。

ジェフがいるべき場所、あるべき姿とは何か、どこを目指し、何のために戦っているのか。
ファン・サポーターにとって選手やチーム、クラブはどんな存在なのか、またはどんな存在になってほしいのか。

そうした唯一の答えがない禅問答のような問いをクラブやファン・サポーターが考えて議論して、クラブの存在意義や価値、ビジョンを描くことが必要ではないかと個人的には思う。

哲学の無いサッカーなど無い

少なくとも今のジェフには哲学があるとは言えないと思う。自分自身にも”哲学”があるのかと問われれば、怪しくはあるのだが。

勝つために、スタジアムに人を呼ぶために、ファンを増やし地域に根ざすために、あれやこれやと様々な取り組み、試行錯誤をクラブは行っていると思う。オシム在任中に比べても、それら取り組みは増えているし続けられているとも思う。

だけれども、あまり考えられているようには思えない。ロジカルではないと言いたいわけではない(もっと突き詰めるべきとは思うことはあるが)。

先の禅問答のような問いに対する答えに近づくべき姿勢が見られる時が訪れたのなら、オシムがいう哲学が宿ったと言えるのではないかと個人的には思う。

それが何かという明確な答えは自分にもないけれど、少なくともクラブが「J1昇格」とだけ語ることではないと思うし、ファン・サポーターが「J1昇格」だけを求めることも違うと思う。

J1にいようと、J2にいようとジェフというクラブは千葉に、市原にあり続けるし、フットボールは続くだろうし、続くように何ができるのか、何を為すべきかを考えること、考えることをやめないことが必要と思う。

考えなくとも続くうちは、ひとまずはいいかもしれないが、そうもいかない時が訪れるかもしれないし、その時初めて考え始めても遅いと思う。

ジェフはジェフだ

一昨年末の佐藤勇人CUOとのオンライン対談時のオシムの言葉だ。

ジェフとは何か。

この問いへの答えを、クラブ、ファン・サポーターは考えているか。
ジェフに哲学はあるのか。

考えろ

御大の教えはシンプルだ。今一度、ジェフを、フットボールを考えよう。

オシムジェフを知らない世代は、識るきっかけとして「オシム本」を是非手に取ってほしい


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