seasons/遠い港町
朝、曇った空。
ラジオの天気予報が傘を携帯するよう促したので僕はそうした。
8月下旬は朝でも蒸し暑いが、今日はこの空模様のおかげか少し涼しかった。
早足で駅へ向かう僕の気持ちもいつもとは違っていた。
イヤホンから流れるLaura day romanceの『seasons.ep』がそうさせた。
『遠い港町』
故郷の港町を離れ、1人、都会の風を浴びている。
地面を撫で、頬をかすめ、洗濯物を揺らす。
水分で満たされた管を伝い、体を芯から冷ます。
そんな澄んだ風はこの街には吹かない。
こんなことを考えるたびに、いつも思い出すのはあの人だった。
僕が都会に染まっても、きっと馴染めはしないと思えるのはそのせいだろうか。
しかし、ここへ来てからもう1度会いたいと心から思ったことはなかった気がする。
なぜだろう。
あれほど一緒にいたのに。
僕はその理由を考えるのが怖かった。
考えたら分かってしまうと思ったから。
きっと何度も感じていたが気づかないふりをしていた、残酷な答えに出会うことは想像に難くなかったから。
あなたはいつも僕の前を歩いた。
洋服が纏った香りは潮風に混じり、僕のゆく先を阻むかのように思えた。
僕は痛みから身を守るために、周囲が放つ言葉や表情を通さないように自分を作り上げた。
その結果、固く脆くなっていった。
あなたはいつまでも柔らかく、それでいて僕が恐れてしまうようなものに突っ込んでいく。
1番近くでそれを見るたび、僕はあなたとのえも言えぬ絶妙な距離感と、その気になれば言葉にするのは容易なある感情を捉えていた。
今でもたびたび電話越しにあなたの声を聞く。
僕らを繋ぐのは目に見えない1本の線だけになった。
決して甘くはない僕の記憶と密接に結びついたあなたの香りや表情の一切は切り捨てられ、この線を伝うのは輪郭を持った音だけだ。
それでいい。
それがいい。
肉体と声の距離感の矛盾に妙に安心してしまう。
届きそうで届かない。
追いつきそうで追いつかない。
そんな絶妙な距離感からは逸脱した、ただ遠いだけの2人に満足している。
いつかこれが、当たり前になるのだから。
あなたの声はあの頃と同じで透き通っている。
追いかけるのをやめた今でもこうして話をしていたい。
いつか、この街で何も変わらない僕を見たらあなたは苦い顔をするだろうか。
電話の向こう側、あなたは潮風を浴びている。
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