拝啓 ガンジー 様 ノーベル平和賞必至の戦争のルールを見つけました
ウクライナでの戦争が始まった時分、人々の意見を知りたくてよくネットニュースのコメント欄を読んでいた。
コメントを読んでいて気になったことがあった。ウクライナの状況を日本に置き換え、中国や北朝鮮からの侵攻や攻撃に対する備えを声高に叫ぶ論調が実に多かったことである。日本の軍備拡張はもちろん、核の保持あるいはアメリカとの共同運用を主張する論調が目立った。
そんな非現実的なことを考えている人たちが少なからずいることに驚かされた。
どうも最近はガンジーのシンパサイザーは少ないようだ。
私は憲法の改正は必要だと考えている。
憲法と自衛隊の存在は明らかに整合性が取れていない。
吉田茂の時代(警察予備隊の創設)から昭和が終わる頃までは、それでも致し方なかったと考えている。
しかし、1992年に国際平和協力法が成立し、国際緊急援助隊法が改正施行され、自衛隊の海外派兵に法的根拠が与えられた。さらに2006年には自衛隊法が改正され、国際貢献の名の下に自衛隊が紛争地に派兵されるようになる。
こうなると「専守防衛」なんてお題目はただのお飾りでしかなくなる。
日本国憲法第九条にある「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の内容が、日本が他国と武力紛争状態に至った場合、日本を守る自衛隊の足枷になり兼ねないのではないか。
第一、自衛隊は誰がどこからどう見ても “戦力” 以外の何物でもない。
しかし、武力の一手段として核を持つことが紛争の解決につながるとは思っていないし、極論だが抑止力たり得るとも思っていない。
核なんて保持せずとも相手国の原子力発電所を攻撃すればそれ相応の効果は得られる。核弾頭を地上に近い地点で起爆させるよりは比較にならないほどのダメージを与えられると思う。尤もこのような行為は敵国というより地球そのものに甚大な損害を与えることになるが。
だからこそ、戦争で敵国の原子力発電所への攻撃はルール違反だとされているようだ。
だが実際はどうだ。ロシアはチェルノブイリやサポリージャの原発を攻撃し、ウクライナからだけでなくIAEA(国際原子力機関)からもロシアに対し強い批判があった。
私の知る限りロシア擁護の論調は一切なかった。
それは当然といえば当然で、ルール違反をしたのだから批判されて当然といえる。
にも拘らず、ルール違反を犯したロシアに実質的な懲罰はほぼ与えられていない。
国際条約の存在価値のなさにも呆れてしまうが、どうも戦争にはルールがあるらしい。
糞の役にも立たないルールがてんこ盛りであるらしい。
化学兵器、生物兵器の使用はルールに悖るらしい。
ルール上は化学兵器、生物兵器はダメだが核兵器の使用は認められているのであろうか?
弾頭や銃剣に毒を塗ることもダメだという。
何故? 敵兵士を簡単に殺すことができるのに。
弾丸などが体内に入ったときにX線を使って見つけることが難しく、被弾した者に余計な苦しみを与えることになるという理由から弾丸や爆弾のパーツにプラスチックなど非金属を使ってはいけないらしい。
プラスチックパーツで敵兵士に余計な苦しみを与えてはいけないが殺すのはOKということか?
対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約というものがあるそうだが、ロシアとウクライナの戦争では対人地雷が使われている。
現在162カ国がこの条約に参加しているらしいがロシアは参加していない。参加していないのだから使用に問題はないということなら、そんなものはザル、否、底の抜けた桶条約で、存在価値がない。地雷を使いたくなったら条約から離脱をすればいいということになる。
ナパーム弾、火炎放射器、焼夷弾など火を付けるために設計された兵器も民間人に対してや民間施設の近くでの使用が禁止されている。
アメリカはイラクの自由作戦でナパーム弾を使用しているが、公式には使用していないことになっている。使われたのは見た目も効果もナパーム弾と同じだが、あくまでも代替品が使われたからナパーム弾は使用していないということらしい。子供か!
失明を伴うレーザ兵器も使用禁止されている。
敵兵士の視力を奪い戦闘を優位に運べるこの武器のどこがいけないのか私にはわからない。殺すことはOKだが、視力を奪うことはダメらしい。
不必要な苦痛を与えるとして先端が鉛になっているダムダム弾は1899年のハーグ国際会議で使用が禁止された。何と120年以上前から禁止されているのだ。
非人道的ということらしいが、現在使われている弾丸を始め戦争の道具はどれも非人道的ではないということなのだろうか?
ロシアとウクライナの戦争でもロシアの使用が疑われているクラスター爆弾もルール違反の爆弾といえる。
ただし、アメリカ、ロシアを始め中国やイスラエルもクラスター弾に関する条約には署名していない。
また、ジュネーブ条約というものがあり、民間人や施設を攻撃してはならず、投降した兵士を殺してはならず、捕虜に対する拷問や非人道的な取り扱いも禁止している。病院や救急隊員への攻撃もしてはならないそうだ。
民間人の避難のための安全な通路、いわゆる人道回廊の創設に関する既定、さらに人道支援組織へのアクセスの提供に関する規定もあるらしい。
へ?! おかしくね?
ウクライナだろうがガザだろうが、そんなルール守られてないじゃん、というおかしいはもちろんある。
それだけでなく戦争に何でそんなルールがあるのか、というおかしいもある。
こういうことを書くとしたり顔で「それはこれこれこういう理由で~」と条約名やその背景などを説明してくる賢いおバカさんが必ず出てくるが、そんなことを知りたいわけではない。
チャップリンは言った。
「一人殺せば殺人者で百万人殺せば英雄となる」
私は戦争という行為のいかなる正義も肯定できないし、殺人者と英雄の境界もわからない。
戦争は勝たなくては意味がない。
だから、殺人と戦争での殺生に区別が生まれる。
停戦交渉を進めるにしても、戦況を優位にしなくてはならない。
そんな戦争にルールを設けるからルール違反が横行する。
戦争という狂気の行為にさも人間らしいルールを持ち込む偽善よりバカなことはないと思うのだが、戦争そのものが絶対的に人間らしい行為であり、だからこそバカらしい、いかにも人間らしいルールが付け足されていくと考えるべきなのか、もちろん私ごときがわかるはずもない。
そんなことを規制するより戦争そのものを規制すれば済む話ではないのか。
戦争は殺人につながるからしてはいけない、というルールを設けてみてはいかがか?
このルールだけあれば、世界から戦争はなくなる。
アメリカやロシアが条約に署名しないなら署名するまでその他の国々が徹底的な経済的制裁を加えればよい。10年でも20年でも、どんな大国であろうとも屈するまで続けけるのだ。
最近、不服従、非暴力主義を唱えたガンジーが、実は家庭ではこどもに暴力を振るっていたというYouTube動画のタイトルを見た。内容は確認していないが、当時の倫理観を今の時代の基準で論ずるべきではないし、例え、本当に暴力を振るっていたとしても、こどもを叱って叩くのと紛争や戦争を同じ土俵で語ってはならないと思う。
私はガンジーのシンパである。