最近の…
・消費活動について
どこで作られた誰が作った、どういうルートで自分の元にたどり着いたものなのか
自分はそれをどのように消費するのか
消費者としてできる事はなんなのか
生産者や中間小売に対して持つリスペクト
ぼくは、生産者目線で料理と向き合うつもりで飲食業態に入りました。農業高校出身、プロジェクトは六次産業。バイトも農家。実家は畑あり。
当然のようにあった、生産という立場。自分の目線は生産からありました。その方々に対するリスペクトと大事にしたいという気持ちが、僕の食材との付き合いファーストイメージです。
僕が学生の頃から畜産の家業を次ぐ同級生、農家の同級生、花屋の子、工場生産の子、加工、果樹、いろいろなメンバーがいて、スペシャリストに向かっていきました。
中でも、畜産の子は僕と同じプロジェクトメンバーで、牛について彼は先生もおったまげな知識と経験を有していました。品評会に行き、全国の牛を見る彼。
ここから、長い余談ですが、彼はとんでもない問題児で、学校の目の敵に入る子です。親は相当苦労したと卒業時あかしました。ぼくは偏差値の低さもあり、入試で2位入学のその学校では優秀なひとでした。
初め、彼のことをばかもの扱いしていたし、本当に彼は馬鹿でした。
謹慎と赤点の連発だから。
だけれど、彼とプロジェクトを共にしていて、授業を重ねる度に牛に対する熱意や、意欲に関心されられてしまいました。
ぼくは、学ぶことが出来るというのはこれが正解ではないのか。と、思っていました。
そう思うと、自分の成績は平凡に感じたのです。
だけれども、パラドックスで、彼らからすればぼくはとてつもない秀才、運動もでき、部活でも部長を務め、テストはいつも1位。先生にも気にいられている。
だけれど、僕は自分には無い彼の牛への情熱とその実力にあこがれとリスペクトがありました。
僕も彼らから、学ぶ楽しさや面白さ、農業の面白さ、愛おしさ、生産者のかっこよさを知りました。
お陰様で、僕には実感を持った生産者に対する感謝の気持ちを持ち合わせれるようになったのです。
土をいじるのが本当に嫌で、好きなのは川遊び。
祖父の手伝い以外でそれに触れたいと思うことがありませんでした。
実習では嫌でもやるのです。
虫がすきになりました。
馬鹿な人を、馬鹿な人と取らなくなりました。
彼らの持つ、意欲を知りたくなったのです。
偏差値で見ていた学習を、ぼくは情熱の行先と捉えるようにもなりました。
余談終わり。
消費活動に着いて、考え始めたのは、米騒動が起きたからです。単純な疑問でした。
そうするとファーストコンタクト、担い手不足とか、やる人が減ったとかそんな結果の話ばかり出てきて、僕の調べ方も悪いんでしょう。
違うだろ。と思ったのです。
それについては別のところで燃えたので置いときますが。
また別の人と、この話を題材に、消費活動として、とフェアトレードの話になりました。
生産、流通や加工、消費についてはプロジェクトで嫌でもやってたことでした。
学校に戻れば直ぐにこの問題について、六次産業の学習に着いてくれていた先生と話すことができるでしょう。
先生にならないか、と数年口説かれていますが、ぼくは乗り気になりません。先生になる、事でできることはきっと素晴らしいでしょうが、先生という職が僕にとって自由じゃ無さすぎます。
先生曰く、初めの数年は子供たちに教えてもらうくらいの気持ちでいなさい。
先生は最初から先生じゃない。
実践しないで、先生にはなれない。特に、この学校では。
自分でも猛勉強する。自分のものにする。
先生になりきる。
と言ってて、やっぱり先生かっこいいな。御歳75歳。
この辺の話も余談です。
ぼくは、消費活動について消費者目線で考える、がしたくなりました。
これまでの経験として
生産(農業)
加工(飲食)
をしてきました。流通は、入ったことがありません。
消費者意識、も特に意識はしてなかったのですが
改めて、消費者としてできること、をやってみたくなりました。
・罪悪感や嫌悪感と禊
ここについては別のところで沢山広げたので簡単に
他人への嫌悪感を持つのはいいとして、自分でそうなった時に感じる罪悪感や嫌悪感をどうすればいいのか考えていました。
そもそも他人を嫌悪感する暇持つなよ。と思うんですが、ぼくは瞬発力的にそれが起きるので難しいと思いました。
他人を嫌うのはいいとして、自分がそうなった時のことが大変です。
とんでもなく自分にとってはそうなった時の悪循環が半端じゃないです。
他人を嫌う
自分も同じことをする自分が嫌になる
他人は無条件に許せないが自分を無条件に許す→これが違和感
他人ならどうでもいいやそんなヤツ。で終わりにできるけど嫌いは変わらない。
自分になってしまうと、そんな自分は嫌だとなる。
そんな自分が嫌なことを嫌と思うことを良しとするんだけどもソワソワ。
だから、自己否定感に落ちて落ち込む。というループがあるとして、僕はそうなるとものすごく体調悪くなるし、不安定になりすぎて、しんどい。
自己嫌悪、自己否定、自傷行為、は僕にとって悪循環の選択である。だけれども、やはり何かしらの罪意識に対する罰がないと、多分難しい。現段階の自分にとって取れる、できること
について真剣に考えてみる。
罰の種類を変えた。
禊。
心と体にとって安全で健康で、前向きになれる禊。
これが僕の答え。
例えば今日は朝起きてとんでもない倦怠感に動けなくなって、今出勤中だ。
最近の自分の状況が不安定。カウンセリングで、トラウマについて扱っていて、回復に波が起きているから。
自分の体調管理初心者で、分かるようになった感情との付き合い方が分からず、休んだり、疲れを取ることを学び始めたばかりで上手くいっていないから。
罪悪感と焦りと不安定でいっぱいな毎日。
ストイックな人達に自制心と言われるほど、頑張るんじゃなくて気を抜くこと、休むことと10年ほど言われている…意味がわかって、やるようになって数年…
こんなにできなくて…やっぱり…悔しい。
そんな気持ちで生きている。
だから、体調不良になって休むことになると、罪悪感がたくさん。
それでループするのは辞めたい。
僕の今日の禊は
出社したら、体調報告と、いつも以上に真面目に誠実に真剣に仕事すること。周りの人に気遣うこと。
だ。
あと、課長に、今の自分の状況をちゃんと話すことが出来たら、この罪悪感は
減るのと、誠実な対応だと感じた。
アレルギーについては言えていたが、なぜなかなか改善しないのか、については言えてなかった。
禊。
まず、ぼくは、自己嫌悪や否定感を禊に置き換えてみたい。