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ジャズ・スタンダード:「These Foolish Things (Remind Me of You)」


「記憶はモノに宿る」

どこかの偉い人がそんなことを言っていた。

「口紅の跡が残った煙草の吸い殻。ロマンチックな街への航空券。私の心はまだ羽ばたく。こんなちょっとしたことで君を思い出す。」

存在したはずのあの人と自分の強い繋がりは、わずかに残されたモノにしかもはや見出すことができない。そんな、モノの残滓を辿って思い出の中のあの人に会いに行く。


今回はジャズのスタンダードシリーズ(になる予定)の第一弾として、「These Foolish Things (Remind Me of You)」(和名:思い出のたね)を取り上げたいと思う。筆者がはじめて意識的に好きだと思ったスタンダードで、レスター・ヤング(胸を張って彼をプレズと呼べるようになりたい)のこの曲の解釈はいつ聴いても真っすぐにブレない哀愁で心を満たす。
そんなスタンダードの背景と、おすすめのバージョンを今回は紹介したいと思う。


These Foolish Things:楽曲について


作曲の背景

左:作詞 エリック・マシュウィッツ, 右:作曲 ジャック・ストレイチー

These Foolish Thingsは1936年に公演されたイギリスのミュージカルコメディー作品「Spread It Abroad」の挿入曲として作られた。作曲はイギリスの戯曲家、ミュージカル脚本家のジャック・ストレイチ―/Jack Strachey、そして作曲家のハリー・リンク/Harry Linkとの共同制作で行われた。なお、主な作曲はストレイチ―によって行われ、ハリー・リンクの貢献は曲のブリッジ部分のみとされている。

ストレイチ―は1930年代をはじめに、この曲の作詞家である/エリック・マシュウィッツ/Eric Maschwitzホルト・マーヴェル/Holt Marvellのペンネームでも活動)とのパートナーシップを築く。マシュウィッツは俳優、戯曲家、BBCのバラエティー部門のエグゼや、はたまたイギリスの情報部隊など、多岐の分野にわたって活躍したショービズ界の重鎮である。著名な作品への貢献として、オスカー賞にノミネートされた「チップス先生さようなら/Goodbye, Mr.Chips」の脚本執筆、「ドクター・フー/Doctor Who」の制作に大きく携わっていたことなどがあげられる。また、情報部隊の活躍として1936年にOBE(大英帝国勲章)も授かっている。

歌詞は誰に向けて?


左上:アンナ・メイ・ウォン、左下:ジーン・ロス
右上:ハーマイオニー・ギンゴールド、右下:エリック・マシュウィッツ

ラブソングである以上、語り手が誰に向けて思いを馳せているのかが気になるところ。
マシュウィッツの元妻でもあり女優のハーマイオニー・ギンゴールドは、自分もしくは女優のアンナ・メイ・ウォンについて書かれたものだと伝記で推察している。
しかしマシュウィッツ自身がこの推察を否定し、実際には過去に交際関係を持っていたイギリスのジャーナリスト、ジーン・ロス/Jean Rossがこの曲のミューズであることが有力とされている。
日曜の朝に煙草を吹かし、コーヒーとウォッカを嗜みながらマシュウィッツは二人の関係についての歌詞を綴り、「若き日の淡い恋の思い出」であったと後のインタビューで振り返っている。

歌詞の意味

筆者はインストから入ったので、ボーカルによる歌詞を意識したのはエラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングのバージョンから。
「若き日の淡い恋の思い出」にまつわるモノを並べていくこの曲のようなスタイルは「リスト・ソング/カタログ・ソング」と呼ばれているそう。

感情と共に並べられているモノは

  • 口紅のついた煙草の吸殻

  • ロマンチックな街への旅行券

  • 隣のアパートからのピアノの音色

  • 好きの気持ちを伝えたぎこちない言葉

  • こころ躍らす春の風

  • もう君に取られることのない電話の呼び鈴

  • ため息を漏らす深夜の電車

  • 夢現に歩くカップル

物理的に彼女の「跡」としてモノに付着している場合もあれば、思い出の中に彼女の痕が残されているものもある。

「Oh how the ghost of you clings/あなたの亡霊がまとわりつく」
とあるように、彼女はまだ記憶の中に、モノの中にいるのにここにはいない。そんなもどかしさが、色褪せてしまった情景を前にする語り手から伝わってくる。

この後に紹介するエラ・フィッツジェラルド、そしてハッチによる演奏には他のバージョンにはあまり見られない、曲の冒頭のヴァースの前にこんな文章が追加されている。

「Oh will you never let me be. Oh will you never set me free. The ties that bound us are still around us. There's no escape that I can see. And still those little things remain, that brings me happiness or pain」

日本語訳:
「なぜ君はわたしを自由にしてはくれないの?わたしたちを縛っていた絆は、まだ私の周りにある。逃げ場はない。それでもまだ小さなモノは残っている、幸せも痛みも。」

思い出の中の幸せ、そしてそれらの出来事がただの思い出と成り果ててしまった心の痛み。愛する人との幸福を思い返す不幸な行為は、さまざまな感情が絡み合った悲しみに暮れた一人芝居。
それでも彼女との思い出をそんな「些細なもの」に見つけることを、やめることもまたできない。

おすすめバージョン(解釈)


スタンダード化された楽曲など、元の曲があってそれを他のアーティストがカバーする際に、英語ではそれを「Interpretation/インタープリテーション」と呼ぶ。
日本語で同様なニュアンスの用語があるのかわからないが、「ただ少し違う」という安い意味にも取れる「バージョン」と言った一般的な呼び方よりも、「解釈」という言葉のほうがジャズらしさが出ていて好き。
今後もそう呼びたいところだが、定着しないと読者を混乱させてしまうだけなのが悩みどころ…
そんなさまざまある解釈のなかでも、印象に残った/曲に大きな影響を残した解釈を四つ紹介する。

人気を後押しした~ハッチとベニー・グッドマン

挿入曲を務めたミュージカルコメディー、「Spread It Abroad」で使われたドロシー・ディックソン(共同作曲者ハリー・リンクのパートナー)の歌唱によるオリジナルバージョンは収録されていないが、発表当時は大した人気にはならなかったらしい。
しかしその翌年に発表された、キャバレースターのハッチことレスリー・ハッチンソンとバンドリーダーとして勢いを付けていたベニー・グッドマンの二つの解釈を主軸に爆発的な人気を得て、その後のスタンダードとしての地位を確立した。

ハッチの解釈はヴォーカルのハッチとピアノとのミニマリストなデュエットで奏でるかなりシネマ的な雰囲気。これがまたハッチの滑らかで感情に帯びた歌声とうまくマッチしてる。喋るように歌ったり、大袈裟とも取れるほどピッチを揺らして感情をもろに表現しているさまが、ミュージカルコメディーで使われた原曲に一番近い解釈だと想像される。

ベニー・グッドマンの演奏はベニーのクラリネットとトランぺットで幕を開け、ヴォーカリストのヘレン・ワードによるスウィングできるメロウさとオーケストラとのコール&レスポンス、そしてグランドフィナーレで終わるというまさに「ビッグバンド」と言ったものになっている。
後に紹介する解釈よりもアップテンポで明るい雰囲気な二曲だが、それでも別れに対するドラマチック/ロマンチックな解釈として捉え、楽しむことができる。

ハッチンソンの解釈



ベニー・グッドマンの解釈



感情と踊る~セロニアス・モンク

ファンの多いセロニアス・モンク。彼のアルバムの中でも人気の高い「Solo Monk」にも収録されているので聞いたことのある人は多いかもしれない。
ジャズの理論的なことは全くわからない筆者だが、もしわかったとしても理解できないくらい彼の解釈が複雑に入り組んでいるのであろうことはなんとなく伝わってくる。
滑らかな進行が多いこの曲において、ここまでシンコペーションを駆使しながら余白までも含ませて、どこかクラシックを思わせるほど洗練されたタッチは彼にしかできないのだろう。
ジャケットのイメージと相まってか、どこかの空を爽快に飛行機で踊り飛んでいるような気分になれる一曲(ジャケットかわいくて好き)。


この曲はやっぱりプレズ~レスター・ヤング

レスター・ヤングのこの曲の解釈はかなり多く、彼が好んで演奏してくれたおかげで色んなバージョンを楽しむことができる。
そんな中で最も好きなのはThe President Plays with the Oscar Peterson Trioのアレンジ。最後の力を振り絞ったすすり泣きのような、細かいビブラートの効いたサックスでプレズの世界に吸い込まれる。
絶望、後悔、恋しさ、期待、克服。別れのあとに段階をおって(ときには同時に)襲ってくるさまざまな感情を、どうしようもなく歌っているように思えて仕方がない。
オスカー・ピーターソンのピアノも裏で繊細な音でなだめるようにしてプレズの演奏を支え、レイ・ブラウンのベースもいいアクセントになってこの二つの音をつなぎ合わせてくれる。
歌詞の意味と楽曲の雰囲気の相性もあって、このスタンダードの代表的な解釈と言っても全く過言ではないと思う。


紹介しきれないさまざまな解釈

独自の解釈とこの曲の発展への貢献という意味で上の四つを挙げたが、ほかにも紹介しきれないくらい素晴らしいものがたくさんあるので興味がある方は是非聴いてみて欲しい。個人的にはスタン・ゲッツからこの曲に入ったので、彼の曲は自分の中でのスタンダードだし、エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングの解釈は二人の安定した才と相性で魅了してくれる。


スタン・ゲッツ


エラ・フィッツジェラルド&ルイ・アームストロング


アート・ペッパー


カウント・ベイシー&オスカー・ピーターソン


最後に

今回はシリーズ化したいと思っている、ジャズスタンダードを取り上げる企画の第一回目としてThese Foolish Thingsについて書いてみた。正直、内容の濃さのわりには情報の照合と収集に時間がかかってしまったので、次回の更新がいつになるかはわからない。
まだビッグネームのジャズミュージシャンしかしらない筆者にとって、曲の制作の背景やスタンダード化のきっかけ、演奏者によって違うさまざまな解釈などを通じてまだ知らない名前や歴史をを知ることができるのですごく学びになった。
次回は「The Way You Look Tonight」を取り上げたいと思う。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました!

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