博士の異常な自己愛
徹底的な自己嫌悪には、異常な自己愛が必要です。
自己愛というのは、自分の見た目が好きとか、才能が好きとか、そんな浅薄で表面的なものではありません。
もっと根源的で核心的なところで自分を愛しているのです。
自己愛と聞いて、ナルシストや自惚れという言葉がすぐに思い浮かんだ人は、ヒューマンステージが低すぎます。ポン酢の瓶で殴ろうと思います。
自己愛と自己肯定は似て非なるものです。
自己とは肯定されたり否定されたりするような次元の低いものではありません。
すべての自己は尊ばれるものであり、外部からの介入や評価を必要としません。
あなたの自己は、そのままでいいのです。
こんなに愛らしい自分が、こんなに不幸な訳がない。きっと何処かに問題があるのだろう。そうに違いない。
そうして私は自己嫌悪の旅に出ます。
この旅は酷く険しく、厳しい道のりになる上、待ち受けるのは地獄のみです。そもそもゴールがありません。地獄を出発点とし、地獄を突き進み、地獄にたどり着く。
自己嫌悪とは内省です。
自己という海に潜り、ただただ深海を目指す。その海は昏く汚い。
私はそこに自己愛という酸素ボンベを持ち出して、より深くへと潜り込む。
自己愛の強さによって、辿り着ける深度も変わります。
そうして一筋の光も届かない深海へ行き、そこで待つメガロドンと対峙するわけです。そうです、私はジェイソン・ステイサムです。MEG ザ・モンスターズ2楽しみ! あとエクスペンダブルズの新作も楽しみ!!
自己愛の強さは他己愛の強さに直結します。
深く昏い自己嫌悪の旅から帰ってきたとき、あなたは他己の素晴らしさを解像度高く感じ取れる。
それはさながら、将太の寿司の佐治がおかゆに入っている塩の粒数を味覚のみで当てることができるように。
つまり、自己嫌悪から帰ってきた調査兵団は根っこから人が好きなのです。面構えが違います。
先日書いた駄文を読んでくれた友人がこう言いました。
「なんか連絡とか飲み誘いづらいわ笑」
ここで誤解を解いておきたいのですが、私はあくまで"知らない人"と連絡取ったりするのが苦痛なだけです。
知っている人、正確には直接対面で話したことがある人は、完全に例外です。
地元の友人などが久しぶりに連絡くれるのはめちゃくちゃ嬉しいです。
ちなみに知らない人と連絡取るのが苦痛な理由は単純で、時間の無駄だからです。
私は自分を幸せにするのに忙しいのです。自分の周りの人たちを幸せにするのに忙しいのです。
でも一度会って話してしまうと、その人の魅力に気づいてしまいます。
私は家族が好きです。家族愛は自己愛が表出した一つの形だと思っています。
この家族愛は周囲の人にも、濃淡はあれど波及しています。
一番濃いところにいるのは親友と恋人で、両者はほとんど家族だと思っています。
逆に言えば、家族だと思えないと親友にはならないし、恋人も作りません。そこに血縁関係や婚姻関係が法的にあるかどうかしか違いはないです。
今いる親友やかつての恋人は遍く家族だと思っています/した。
なので自分から関係を切ることはなく、恋人にはちゃんと毎回振られて別れてます。トホホ。
このワイルドスピードのドムとファミリーみたいなことを現実にやっているのが、私です。
ワイルドスピードといえば、わたくしジェイソン・ステイサムも出演する新作が2025年に全米で公開が始まります。ぜひ劇場でご覧ください。
文責: ジェイソン・ステイサム(本物)
サポートされると税金とかめんどいっす