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ニートが公園に銀杏を拾いに行った話



前文


 ――秋深き 隣は何をする人ぞ。
 この俳句に表現されている通り、人間という存在は他人が何をしているのか、何を考えているか、何も分からないものである。

 そして、ふと思う。noteを読む人は何を求めているのだろうか、と。
 この日本列島に存在する、見ず知らずの名前も知らない誰かが、俺の記事にたまたま目を留めてくれているのだ。ならばその人が望んでいるものを書いてあげたい――そう思うのは人情ではないだろうか。

 noteを読む人々は何を求め、この電子空間内に於いて、宛先が書かれていない手紙を受け取ろうと試みるのか?

 ずばり世界の普遍的真理を言い表した思想?
 それとも常軌を逸した宗教?
 さては今晩の料理のレシピ?
 もしくはゲームの裏技?
 あるいは漫画の感想?
 または有名人の思考法?
 さてはアカデミックな情報の分かりやすい解説?
 まさかインフルエンサーのありきたりな日記?
 はたまた狂人の戯言?

 ――正直なところ、俺にはそんなこと分からない。俺は他人の心を読めたりしないからだ。
 まぁ、少なくとも、『ニートが銀杏を拾いに行った話』ではないことは確かだろうな、と思う。だから絶対に『ニートが銀杏を拾いに行った話』は書いてはいけない。
 そりゃそうだ。誰も『ニートが銀杏を拾いに行った話』なんて読みたくない。この娯楽あふれる現代で、そんなクソみたいなエピソードを読んでいる暇なんてない。現代人はソシャゲのスタミナを消費するのに忙しいのだ。

 でも俺は『ニートが銀杏を拾いに行った話』を書きたかった。
 そういう訳でで今から、『ニートが銀杏を拾いに行った話で話』を書いて行く。俺は書きたいものを書いて生きて行く。なんかさっき殊勝なことを書いていた気がするが・・・・・・まぁ、気のせいだろう。

 そんな感じで、よろしくお願いします。



 

本文



 2024年10月10日木曜日、午前5時30分。夜明けが終わったばかりの世界の中を俺は自転車をこいでいた。前文に述べた通り、銀杏を拾いに行くことにしたのだ。
 だが勘違いしては欲しくないのだが俺は別に“銀杏が好き”という訳では決してない。
 長いようで短いような人生の中で、おそらく食べたことは無い。なんかグニグニしていて、果物でも野菜でもナッツの類でもない謎の食べ物、食べたことないのに、なんか不味い方向に微妙に感想が寄っている気がするそんな食べ物。その程度の認識しかもっていなかった、俺は銀杏について。

 別にそういう訳では無いのだが、他人から「銀杏フォビアだ」「銀杏アンチだ」と言われても、それを敢えて否定はしなかっただろう。それくらいどうでもいい存在だった。俺にとって銀杏は。
 
 そんな食わず嫌いの俺だが、最近銀杏が食べたくなった。
 気が狂ったのかと言われれば敢えて否定はしない。ただ、銀杏という食べ物が本当に不味いのかどうか、自らの舌に尋ねたくなったのだ。
 もっと言わせてもらえば、危険な食べ物であることにも心躍らせた。一応言っておくが、俺は狂人ではない。
 銀杏はビタミンB6に似たギンコトキシンという物質を持っているので、食べ過ぎるとビタミンb6不足に陥る。そしてビタミンB6欠乏症になると人間は死ぬ。実はそんな恐ろしい食べ物なのだ銀杏は。
 なぜそんなことに心躍らせたのかはさっぱり分からない。多分ホラー映画を見たり、バンジージャンプをしたりする様な、人間が持ち合わせている恐怖に対する“矛盾した快楽”を求めてかもしれず、フグ毒を恐れずに食べてきた日本人の食に対する飽くなき探求心のアホ遺伝子が俺の中にも綿々と受け継がれていることの証左であるのかもしれない。
 尤も、この飽食の時代に銀杏を食べすぎて死ぬことは難しい。銀杏を食べすぎて死んだ人間は栄養が足りてない時代の人間だ。現代は非常に少ないか全くいないと言っても過言では無い。数十個とか一気に食わない限りは無視していい危険性だ。つまり死なないということだ・・・・・・まぁ、スカイダイビングにパラシュートがあるのと同じだ。安全な危険を楽しむということである。

 さらに勘ぐれば、『銀杏がかつて絶滅寸前であった』という歴史が俺を駆り立てたのかもしれない。
 知っている人は知っているし、知らない人は知らない事実だが、数千年前銀杏は絶滅寸前であった。
 数千年前の銀杏は、中国の一部地域にのみ生息していた。今世界中に散らばっている銀杏は、中国の浙江省の天目山に自生していた子孫である。もちろん日本の銀杏もそうだ。
 地球の表面積は大体5憶平方メートルだと言うが浙江省の面積は大体10万キロ平方メートル。そんな狭い場所で何とか息も絶え絶えにその血統を繋いでいたのだ。
 そして絶滅待ったなしの銀杏に救世主が現れる――そう、我々人類である。
 銀杏はおそらく人類がいなければ滅んでいた。(余談だがおそらくは馬もそうだ)人類が滅ぼした生物にばかり目が向けられがちだが、人類のおかげで絶滅を免れた生命も実はいるのである。
 余談だが、日本人のルーツ――縄文人の前身は中国の長江付近に居た集団ではないかという説がある。
 そして浙江省は長江の下流に位置する。
 銀杏が1000年ほど前に日本に伝来し、この時に日本人が初めて銀杏を食べたということになっているが、もしかすると日本人は中国の長江付近に居た頃、一万年近く前に銀杏を食べていたのかもしれない。
 そう考えると、1000年前の日本人が食べた銀杏は、実は懐かしい故郷の味だったのである。
 そんな銀杏を食べたことが無い俺は日本人失格だ。恥を知れ。

 そういった歴史を背景に、俺は朝の日が昇り始めた街の中を自転車で風を切って走る。夏は完全にどこかに消え去っていて、冷たい空気が手足を悴ませる。まだ開店してないスーパーの明かりが付いていた。店内では従業員が忙しく作業しているのだろう。
 目的地までは割と遠く、最初は威勢の良かった大腿四頭筋もすぐに悲鳴を上げ始める。おまけにそんな虚弱ニートに坂道が立ちふさがる。実に存在価値の分からない高低差である。存在価値のないニートは坂道に共感を覚えつつ、ひぃひぃ言いながらペダルを強く踏む。
 かつてアフリカで木から降りたサルは、東アジアの最果で銀杏を拾う為に坂道で立ち漕ぎしていた。どちらも日本が原産地でないところが面白い。
 ところで、「ニートなのに早起きをして偉いなあ」なんて思ってくれる人がいるかもしれないが、それは誤解である。
 ニートは当然昼夜逆転している。つまり、寝てないだけだ。
 昼夜逆転ニートが早朝に自転車で長距離を移動しているのだから、もしも途中で貧血でぶっ倒れても俺は驚かない。

 そんなこんなで、目元にクマを作りながら、健康に悪そうな息切れをしながら、睡眠不足の体に鞭打って、俺は目的地にたどり着く。
 家から数キロメートル先にある、けっこうデカイ公園だ。
 この公園には大きめの遊歩道があり、両側に植えられている銀杏の樹は、季節によっては黄色一色の美しい並木道である。(残念ながら今はまだ葉は緑であったが)

 着いた瞬間、真っ先に思い浮かんだ言葉は、『あれ、人がいるなぁ?』である。
・・・・・・いや、5時30分だぞ? なんで公園にこんなに人居んの? 真っ暗だった時間帯から居ただろ、これ。
 まぁまぁデカイ公園だ。だからまぁ、結構人は居るものである、それはまぁいい。
 しかし、この時間帯にこの人数がいるのは完全に予想外。居たとしてももっと少ないと予想していた。それがこの人数。俺の予定では、一人で黙々と、人目を気にせずに銀杏を拾える予定だったのだ。
 なんつーか、人間が自分の住む場所をコンクリートで舗装したことに対する強い矛盾を感じた俺である。緑の少ない都心に居住し、数少ない自然が集中している場所にこんな早朝から詰めかけている・・・・・・なんつーか、人間ってけっこう馬鹿なのかも。

 ま、いっか。そう気を取り直した俺は周囲を見渡す。
 ・・・・・・同士はいなかった。銀杏を拾うような酔狂な人間は死に絶えていた。
 当然だろう、あまりにも貧乏くさい行為だ。おまけにもっと美味いものがこの世には安く溢れているわけで。タダだからって、わざわざ銀杏を拾って食うなんてアホのやることである。

 でも俺はアホだった。
 おまけに貧乏である。しかも収入0だ。いい年して親から与えられる小遣いに依存しているゴミクズである。

 でも一応言っておくと俺も、『正直拾うのはなぁ・・・・・・』などと思っていたのだ。
 だから通販サイトで銀杏を買おうと思ったのだが、これが結構お高い。
 1キロ3000円前後だ。
 そんなに多く食べたい訳では無い、でも量を少なくしても結局は送料がかかる。それに、無いとは思うが美味かった場合、また買わないといけなくなるわけで・・・・・・
 そういう訳で俺は縄文時代よろしく、採取民族へと先祖返りした訳であった。

 俺は自転車から降り、銀杏を拾いに行く。

 ――の前に。 
 懸垂やろう。懸垂。
 せっかく普段来ない公園へとやってきたのだから、雲梯にぶら下がり、それから懸垂を試みることにした。俺は最近筋トレをしていた、腹筋の腹を撫でると腹筋の段差が心地良い。ナルシズムの強い人間が筋トレをするのか筋トレをするとナルシズムを発症するのかはさておき、そんな筋トレに目覚めている俺が懸垂をやろうというのである。
 何回出来るか楽しみだ。

 結果――



 1回。




 ・・・・・・いや、ひどくね? 筋トレしてたんじゃないのかよ!!??
 まぁ、してたんだけど、懸垂はしてなかったのであるまる
 腹筋、バックエクステンション、スクワット、腕立て、ダンペルの上げ下げ。見事に背筋のトレーニングだけがスルーされていた。まぁ、そんな中で一回とはいえ出来たことは褒めてもいいかもしれない。
 周囲の『えっ、あいつあんな自信満々で懸垂たったの一回!!?』という目線が痛い(被害妄想)。
 ・・・・・次来るときには最低でも3回は出来るようにしたい。でなければカッコがつかない。そんなリベンジを誓いつつ、俺はその場を逃げるように後にしたのだった。

 ――さて、いよいよ銀杏拾いである。
 先ほどの雲梯がある広場から場所を移し、人気が無い遊歩道へと移動した。
 でも特に言うべきことなんて無い。何も無い。
 ゴム手袋を嵌めて、ビニール袋に落ちてる銀杏を入れていくだけだ。ひたすらに。それ以上でもそれ以下でもない。こっから世界を救うために魔王を倒すための旅へ週発すれば面白いのだろうが、嘘はいかんよ嘘は。
 遊歩道は、さっき言った通り、あまり人気がないので(居なくはない)、それなりに集中して拾えた。
 落ちている量はかなり少なかったが、(もしかしたら先人が拾ったのかもしれない)それでも俺が満足して持って帰るだけの分量は当然あった。大体40個だろう。
 まぁ、そんだけである。・・・・・・仕方ないだろ?『銀杏拾い』なんて題材を面白く書くのは不可能だ。少なくとも俺にはな。
 ちなみに余談だが、銀杏成分がゴム手袋を少し貫通していたらしく、帰ってみたら手先が薬指が少しオレンジ色に変色していた。(今はもう治ってる)

 ――さて、家に帰ろう!!
 拾った銀杏袋の上から、更にビニール袋を被せ、リュックの中に入れると俺は自転車に跨る。
 やることやったら気分が前向きになるのはニートも同じである。言っておくが、最初からニート気質だったわけでは無い。両親とか、教師とか、運命を司る何者かが、俺に前向きになれる成功体験をあまり用意してくれなかっただけだ。だから人生についてあまりにもやる気が湧かないのだ。(勿体ない)
 そんな俺の帰宅への意気込みとは裏腹に、足は『まじっすか?』と泣き言を言っていた。とはいえ帰らないことには休むことなんてできるはずもないので、下りと上りを逆にした坂道をヒイヒイ言いながら立漕ぎをしながら、大腿四頭筋の肉離れ寸前の状態で遠くを見ると、何故か教会の屋根の上にある十字架が目に留まった。
 今俺は世界中の人の罪を背負っているのかもしれなかった。



その後


 そしてこちらが、俺が拾った銀杏である。

余談だが、たった4枚の写真を撮っただけで俺のデジカメは電池切れになった。いよいよ駄目かもしれん・・・

 処理のフェイズは面倒くさいから省いた。やり方が気になるようなら、各自ググってくれ。

 そしてお待ちかねの食べてみた感想は、『・・・・・・まぁ、普通?』である。 食べてみたところで1万年単位の郷愁は特段感じなかった。ただのギンコトキシンを含んだ炭水化物である。大体、大昔の先祖が食べていたものを食べて郷愁に駆られるのであるならジャポニカ米を食べるだけで一々懐かしさに駆られないといけない。
 まぁ食えなくはない。でも金を払って食べたいとは思わない。でも置いてあったら摘まむだろう――そんなところだった。
 食べたことは無かったはずだが、予想していた通りの味である。少しグミグミしてるが、予想外にホクホクしている。
 具体的には、栗を少しだけ不味くしてみた――って感じだろう。まぁ、これなら普通に栗食ったほうがいいと思う。
 でも栗の樹なんて近くには無いし、拾ってる時に落ちてきたら物理的に危ないから、タダで食える“ジェネリック栗”としては普通にアリだと思った。
 だから今年中にまた、俺は銀杏を拾いに行くだろう。
 ま、懸垂のリベンジもしないといけないしな。

 P.S.
 ちなみに食べても死にませんでした。僕は元気です。

 

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