【野球少年2人が異例の兄弟創業?】【目指すはカレー界のハーゲンダッツ】(♯5)
それではネクスト、【角田光史(兄)憧れの国で見た、憧れの1シーン】と題し、角田光史が海外でのカルチャーショックについて語り尽くします!こちらも是非最後までご覧ください!
※Section1【兄弟起業編 兄弟起業という僕らのユートピア】
https://note.com/foodcorner2020/n/nd0e591ac0e78
※Section2【事業選択編 アイデンティティとの対峙、そして唯一無二との出会い】
https://note.com/foodcorner2020/n/nf32cb56dc660
※Section3【完全受注生産型D2Cモデル苦悩編 世の軋轢と闘う若輩者】
https://note.com/foodcorner2020/n/n8d6cbca6fa7e
※Section4【カルチャーショック編 角田憲吾(弟)運命の変わり目は、異世界から】
https://note.com/foodcorner2020/n/n3d67fd6688a0
【カルチャーショック編 角田光史(兄)憧れの国で見た、憧れの1シーン】
【角田光史(つのだ・こうじ)】1993年生まれ。千葉県野田市出身。野球部。学生時代にアメリカを中心に数十カ国への留学、渡航を経験。様々な文化と触れ合う中で、"人生 の在り方(生き方)”、“組織の在り方”、“食体験”のギャップに強い関心を持つ。帰国後も被災地ボ ランティアなどへ積極的に参加し、多様な視点・価値観を取り入れることに重きをおいている。
大学卒業後、メディアスタートアップ企業、商社、スタートアップPMの経経験を経て、Seven Rich Accounting 人材事業部の事業部長を務める。(同時にFoodCorner代表取締役)
- Masa
さて、光史くんは海外での影響って具体的にどんななの?
- Koji
はい。
僕は半強制的(父から異文化を感じてこいと)にNYのストーニーブルックという大学に夏の期間だけ行っていたことがあります。大学1年生の夏ですね。
先ず、当時は僕にとってアメリカという地に降り立つことが初めてで、相当緊張していたと思います。向こうの空港について、パスポートの写真と当時の自分(髪の毛を金に染めていた)が別人だと判断され、空港で隔離され、さらにナーバスになっていました。笑 英語で説明できない自分にイライラしましたよ…。
まあそんなことはどうでもよくて、ナーバスな自分もカレッジに着いてからは一転。様々なインスパイアから、日々【頑張らないとヤバイ】と思い始めました。
衝撃的なシーンは多々ありますが、学生がランチの時間になると“食”を中心にカレッジの開放的な中庭で、コミュニケーションをとっている光景が印象的でした。それも多国籍、多種多様なメンバー毎日です。
日本では気の許せる仲間と、毎日同じ場所で同じような食事を取ることが多かったので、違和感を感じたのを覚えています。
今考えると、ストーニブルックの学生は食体験を最大化させることができていると感じます。現に、その食体験をきっかけに、心身ともに回復することができ、友達ができ、恋人ができ、そしてビジネスの話が生まれたりと喜ばしい予定不調和が生まれていました。これが1つ目の1シーンです。
- Masa
確かに僕の大学もそういう光景はあまり目にしなかったな。
日本人って消極的だし、自分のナワバリから外にでないよね。
- Koji
そうですよね。すごく勿体無いなと思います。
あとはそのあとLA、Seattleと滞在したのですが、やはり食を中心に様々な喜ばしい予定不調和が生まれていました。
- Masa
LAとSeattleも行ってたのね!いいね、食のカルチャーショック的なものはないの?
- Koji
あります。
例えばLAでいうと、スクール長がウォークウッドという少しリッチな学生アパートメントの中庭でパーティーを開催してくれました。プールサイドにBBQセットが設置されていて、美味しいお酒と料理は持ち寄り。そんなアメリカンスタイルで行われていました。
海外のそういったパーティーってただお酒を楽しむイメージありましたが、想像とは異なり固定概念を取っ払われました。
- Masa
そうなんだ!海外のパーティーもウェイ!みたいなイメージあるけどどうなの?(笑)
- Koji
もちろんそういうパーティーもありましたよ!
でも、パーティーの目的が具体的且つ明確だったと思います。そこには多種多様な国籍のメンバーがフランクにコミュニケーション取れる場が醸成されていて、友人を作ることができ、結果心理的安全性の確保に繋がっていました。
外国人の友達と●●に行こうぜ!みたいなイベント(小旅行や放課後ビーチバレーやろうぜ!てきな)が生まれたり、本当に予測のつかない収穫ばかりした。結果、スクールに通うことも毎日楽しかった。
食の役割って人の心を動かし、彩りを与えるんだと実感しました。これが2つ目。
- Masa
なるほどね!日本人で英語もそこまで流暢じゃない馴染むまで結構しんどいもんね。なんとなく楽しかったで留学を終える人もいるからね、いい体験だね!
- Koji
はい。あとはシアトルでの話。シアトルではホームステイだったんですが、ホームステイ先は、夫婦2人、お孫さん1人、の3人家族。そして僕を入れて4人でした。その家族は毎晩全員が揃う時間をシェアし、家族全員でごはんを食べていました。そしてその食卓からは目をみはる様々なコミュニケーションが生まれていました。
- Masa
へえ!どんなコミュニケーション?海外の食卓と聞くと、だいぶ賑わっている印象だけど。
- Koji
賑わってはいますけど、多分イメージ違うかもしれないです(笑)
例えば実際の話でいうと、祖父の仕事に対して意見を放つ孫。僕の1日を深掘りする祖母。自分の将来の夢を語る孫。本当に毎日異なる質の高いコミュニケーションがそこにはありました。これが最後、3つめのシーンです。
- Masa
日本の食卓では生まれなそうなコミュニケーションだなあ。
- Koji
そうなんですよ。あまり見ないかもしれません。
でもそのとき感じたのは、昔の自分たち家族に似ているなという感覚。僕が中学生くらいまでは家族5人で食事をすることが多かったと思います。まあ父は仕事の都合で極端に参数は少なかったですけど、それでも4人で食事をすることが多かった。ただ僕が高校生になり、続いて弟も高校に進学してからは家族全員揃ってご飯を食べることが極端に減りました。みんな野球部でしたしね。食は家族とのコミュニケーションをとる手段でしたが、そのあたりから作業化していってのだと思います。
- Masa
仕方ないですよね…。どうしても時間が合わないし、合わせることも困難。
- Koji
そう、仕方ない。でも仕方ないではなく、仕方ないなりの努力を一切していなかったのが自分たちでしたし、ほとんどの日本の家庭があてはまるんじゃないかなって。
- Masa
たしかにその中でどう工夫していくかって重要よな。
- Koji
そう。でもそれは食に期待する価値を言語化し認識できていないからそうなるんです。そんなことしている人ほぼいませんよね(笑)
- Masa
そうだよね、でもよく気づいたね。
- Koji
実家を出て改めてスタートアップで働き始めたタイミングからは家には寝に帰るだけ。2年近く食は3食コンビニでした。完全な食の作業化ですよね。まさしく僕も当事者だってことにコロナによって気づかされました。コロナによって在宅勤務になり、食事を作ることが増えました。弟とルームシェアしているのもあって、コミュニケーションを取る回数は圧倒的に増えました。このあたりですかね。、食について改めて見直すきっかけになった話はまた後ほど詳細話せればと思います。
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