初めての救急車を呼んでもらって起こったこと
救急隊員の方々がきてくれるとそれだけでほっと安心
そして一瞬気が楽になって具合が悪いことを一瞬わすれてしまって、普通に歩いて行けそうな気がして歩きだしてよろめいた。その後はマグマこみ上げが戻ってきて息苦しさもカムバック
救急車に乗りこむまで少し距離があった
担架がお店まで入ってきてくれました。しかし2階のお店だったので、担架は階段の下まで来てくれたとのことで、救急隊員の方に支えてもらいながら階段を下がりました。その後階段の下で担架へ乗り込みました。初回観光地の人気店だったりかなり人にみられました。なんだか経験したことのないタイプの恥ずかしさでした。
救急車ついてからも少し長かった(気がした)
救急車に担架毎のせてもらって扉もしまって、彼も乗り込んでさあこの苦しみから解放されるのかと少し安堵しましたが、そうじゃなかった。ちょっと考えたらそうなんですが、救急隊の方から症状の関して確認や質問がありました。意識があったのでいろいろ話せはしましたが、その時も息苦しく呼吸は走った後のような感じで息苦しく、とにかく気持ち悪くてしゃべりながら吐きそうな感覚が何度も突き上げてきました。が、話さないとわかってもらえないと思い必死にしゃべりました。その間に血圧やら末端の酸素濃度がわかる機会やら熱やらを測ってくれました。
救急車から病院に向かうまでも少し時間が
休日というのもあってか、具合が悪かったからか少しそこにも時間が想定よりもかかった感覚がありました。救急隊の方が私の症状を確認して病院など診療できるところに確認の電話をしていました。そして数件目で受け入れOKとなり、そちらへ向かいました。
病院に向かうまでに起こったこと
よし病院も決まって後は向かうだけと思っていて、発進した救急車。これが想像もしていなかったのですが、めっちゃくちゃゆれる。そう感じただけなのかもしれませんが、めちゃくちゃ気持ち悪くてさんざん吐いたのに出したのに、まだこみあげていたのがずっと続いていたので、救急車のゆれでさらに気持ち悪くてつらく、ぐっとぐぐーーっと我慢を重ねていました。ついでに息も苦しいが続いていて結構走った後の吸ってもはいても苦しい呼吸のようなのを続けていました。あとは引き続いて震えていました定期的に。こんな状態だからだと思うのですが揺れがとにかくダメージでした。
救急隊員の方はとってもあたかかくて冷静で安心感がありました
急に食品アレルギーになってからのこの1年7か月の間で、アナフィラキシーによって救急車は3度ほどありましたが、毎回、救急車の方はあたたかく、かつ冷静にケアをしてくれました。変な言い方かもしれませんがとっても質の高い対応をしてくれたと感じました。正直人に迷惑をかけてしまうという気がしてしまって救急車を呼ぶのに心理的ハードルがあったからかもしれません。私の今の症状が救急車を呼んでもいいのかという思いもありました。たしかに息のしずらいしさんざんいろんな症状がでてぐったりして体が震えてたり視界が曇ってたりしましたが、意識はしっかりありました。というか意識だけは保とうと自分を鼓舞していました。効果があったのかないのか、たまたま意識を失わずにいられたのかはわかりません。
社会生活において人とのつながり上安心を感じれるというのは代えがたいことだなと感じました。
急な食品アレルギーでアナフィラキシーを頻繁に起こしてしまっているのですが、何かあったラ救急隊員の方を頼っていいと思えるだけでも気持ちの面でとても安心できます。
気持ちってあたりまえだけど、とっても大事。2018年2月から急にこんなことになり体重の減少が10か月くらいつづきいろいろいろいろ気持ちも落ちている時が多かったですが、改めて「何とかなる」という感じでいけばいいんじゃないかなと今は思います。同じような食品アレルギーのひととこの辺話してみたいな。たぶん一回はみんな絶望の淵に立った気分になるんじゃないでしょうか。
この辺の気分のフェーズに関しても別記事でかこうとおもいます。同じようなアレルギーの方にもこの辺きいてみたいです。できれば同じようなアラサー女子に。
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