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その日僕はマスコミを信じるのをやめた

私らしくないタイトルですが、今日は私の人生のターニングポイントの一つとも言える、とあるお話をさせていただきます。

遡ること10年前の今日。2014年の8月20日。

覚えている人も少ないでしょうが、この日私の故郷は大規模土砂災害の被害を受け、死者70人超という当時としては最大級の災害となりました。

線状降水帯という単語はこの災害あたりから、よく使われるようになったと記憶しています。

私の実家自体に被害はなかったものの、敷地内が泥(真砂土)だらけになったり、親戚の家は床上浸水したり、私の幼少期遊んでいた公園が跡形もなく消えたりと、なかなかに壮絶な被害でした。


そんな中、こんな話がテレビやニュースで流れてきました。

広島の土砂災害で最も大きな被害に見舞われた安佐(あさ)南区八木地区が、崖崩れの多発地帯を表す「蛇」や「悪」のつく地名だったと言われています。日本の地名の多くは過去の災害を伝え、後世に警鐘を鳴らすサインですが、時代とともに消えつつあることも事実です。(中略)八木地区がかつて「八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくじあしだに)」と呼ばれていたことは、災害発生から約1週間後の8月26日、フジテレビの情報番組「とくダネ!」が伝えて反響を呼びました。

これをうけネット上では
・近年の宅地開発で都合よく地名を変えるのはよくない
・先人の災害に対する知恵が生かされていない
・もともと人が住むべきところではない

なんて声が上がりまして、江戸時代からご先祖様がこの地域に住んでいた私からするとなんだかなぁと思ったわけです。

そもそも八木という地名は郷土史によると平安時代ごろからその名前はありますし、そのうちのごく一部の地域が「蛇落地」と呼ばれていたとされるだけですし、悪谷なんて聞いたこともないですし、水害は確かに多い地域だったけどそれが土石流ではなくて川(太田川)の氾濫であるのは地元民からすると常識ですし。

この辺り、現地の方へのインタビューを勘違いしてセンセーショナルに伝えていただけで、一次情報にあたることもしなかったのでしょう。

このときの私はというと、会社をお休みして復旧作業に当たっていた頃で、意気消沈していたこともあり、この報道にひどくしんどい思いをしたことをよく覚えています。

さらに追い打ちをかけるように、この話はSNS上でも拡散され、言った人はもう覚えていないでしょうが、古くからそこに住んでいた自分たちのアイデンティティを否定されるような思いでそれを読んでいました。

私はその時、マスコミを信じるのをやめました。

切り取れば自分たちの都合よくストーリーを作ることができ、大衆を扇動できるんだなと。

・・・いや、今思えばそこまで一般化するなよとつっこみたくなるし、なんなら反論自体をSNSからするでしょうが、メンタルが低下している時ってそこまで思っちゃうものなんですね。


そんな中、この内容を詳しく検証するブログなども登場し、

ともかく、「八木」全体が以前「八木蛇落地悪谷」という名称だったと受け取った方がおられたとすれば、それは誤りということになる。

宝暦12年は、1762年。もちろん江戸時代だ。宝暦元年には徳川吉宗大岡越前が亡くなっているから、まあそのころの時代だ。ベッドタウンの開発なんて(この地域では)思いもよらなかった時代だ。

「蛇落地」の地名が変えられたのは、少なくとも住宅地のために土地を買わせる目的ではなかったといえるだろう。

といった形で、一次情報に当たりながら一つ一つ丁寧に反論をして、ファクトチェックをしてくださいました。

地元民からすると、こちらの情報の方が圧倒的に真実に近い内容だと納得できるものでした。

以下ブログです。


でも、それらしいストーリーで味付けされたセンセーショナルな話って、仮にデマだったとしても上書き訂正されないんですよね。

Xで「蛇落地」と検索すると、未だに勘違いしているものが多いので、ぜひ見てみてください。

なので、普段の私の話に戻りますが、センセーショナルでキャッチーな言葉は拡散されやすいものですが、本当にそれは正しいのか、一次情報を辿ることは基本中の基本です。

健康情報であれば、論文やガイドラインであり、地名の由来であれば地誌であり。

拡散する前にコレって根拠ある話なのかな?誰かを傷つけていないかな?と、一歩立ち止まることって本当に大切だなと当時気づいたし、今もそのスタンスはSNSでの発信時に気をつけるようにしています。

特に、災害のような緊急時にはこう言った話は(善意も含め)拡散されやすいでしょうし、正しくない情報は命の危険すらあるでしょう。

大変な時だからこそ一歩立ち止まる。これ大事。

ちなみに辛いこともあれば嬉しいこともあり、全国からボランティアの皆さんが来てくださって復旧作業をサポートしてくださったし、支援物資もたくさん届いて暑い時期にはありがたかったし、当時メジャーリーガーだった黒田が来た!なんて話もあったし、悪いことばかりではありませんでした。

こういう恩をどこかで返したいなという思いを強く持ったことも含め、私の人生のターニングポイントになったなと改めて感じた10年目でした。

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