素直でいられない自分がいることを知る。
勉強を始めて気づいたことです。
13年ぐらい放置していたコーチングの勉強を始めました。
重い腰をやっと上げたという感じ。
三療師をしていて、患者さん(どうもこの患者さんという言葉が好きじゃないんだけど)を問診したり対話したりしていくので、医療面接などの学習から似たような技術を勉強したりはしてきているけれど。
ずっと興味がありながら手をつけていなかったコーチング
なにせ薦めてくれたのが母だったので。
母は、人として悪い人だとは思わないし、母の持つ能力は私も得たいものがある
他人であれば仲良くできたかも知れない
でも、私は母が得意ではない。許していないことも多々ある。
そんな彼女に薦められたものだから、なんだか気乗りしてこなかったわけだけど
やっぱり親、というより、気質が似た人間だから
私の得手不得手、向き不向きをわかっているのだろう。
母以外の人にも薦めて貰ったりしてきたが
なぜ薦められてきたか、勉強を始めるとなんとなくわかった。
心理や精神について学んだり、自分自身もカウンセリングを受けたり学んだりしてきたつもりが
どうも実体験の多くはコーチングに近い、またはコーチングだったのだ。
(私の区別がついてないだけか…?
コーチングと鍼灸施術は似ている。
あくまでも相手が主体で、こちらはそのきっかけを与えるに過ぎないということ。
姿勢はたぶん、似ている。
自分が相手をどうこうできるなんておこがましくてとても思えないけれど
相手が相手の意思や行動によって変わったり望む方向へ進むことはできると思っている。
だから私はきっとコーチングを習得できる…はずだ…(鼓舞
(題名の件はつまり、なにが理由で自分が行動に起こせないでいるかを、理解するということ。母が苦手なのをわかっていてもそれを認めない私がいて、そのせいで物への認識や感情が歪む。(母の好きなものに嫌悪感を持ったり。でもそれを、私は母が好きであることが理由だと、素直になれない)その言動が母でない他者なら?と置き換えてやっと自分が素直でないことに気づくのだから、……おとなになろうな)
パソコンを開くのも面倒でスマホで打ってみたけと、やっぱり速度がもどかしいね