ただ、記号を持って生まれてきたくなかっただけかも知れない。

女性キャラクターのコスプレをした自分の写真を見ていて思ったことです。


春麗のお誕生日だったので調子にのってツイッターにコスプレした時の写真を載せたのですが

載せるにあたって画像を探していて、過去のコスプレを見ていました。

春麗はこどもの頃から好きで、これは彼女の登場によって男子の仲間に入れて貰える機会が増えたというところもあるんですけど。

例えば戦隊ものでも女性キャラクターがいるとその配役として自分を仲間にして貰えることがあって

男の遊びだろ、女子は失せろよー、みたいなのが、女性キャラクターがいることで回避されてたんですよね。

女性に当てはめられることはやや不服ではあったものの

男子側で遊んでいられるのは嬉しかったので。

で、まあ春麗にはそういういきさつがあるものの

女性であることへの違和感というかそういうものがあるのに、どうして私は女性キャラクターのコスプレをしてるんだろうなーなんて考えました。

被写体となることも含め、女性であることを利用してる部分はあるんです。

自分の作りたいものがあるときに、自分がモデルになってしまえばコミュニケーションを抜いて作りたい方向へ向かえるというのもあって、女の子のこんな写真が欲しいーみたいなときに自分を使っていて。

それとは別に、「わたしでない誰か」になれるコスプレが好きだったんですよね。

「このキャラクターかわいいからきてみなよ」とか「こういう衣装あるよ」から入ることの多い私のコスプレは

ちゃんとしてるコスプレイヤーさんのようなキャラクターへの愛からではなくて

自分以外のなにかになれる手段として心地よくいたのでした。

(げんしけんの大野さんに出会ってから、なんだかそれが失礼な気がしてめっきりキャラクターコスはしなくなってるのですが。)

女性キャラクターであっても、私でなければそれでよかったのかも知れないです。


生まれた瞬間から、いろんな属性や記号を持つじゃないですか。

性別も、年齢も、世代も、長男長女とか、あらゆるもの。

私はそういうものがいやなんでしょうね。

そういうものも含めながらひとさまのお体に触っているというのに

私を私としてでなく、なにかの一部にされたり、なにかを参考にして測られたり、

で、これって結局もっと私に手間暇かけてよってわがままなのかもなって思います。

女だからどうこうだね、じゃなくて、私に対しての評価だったり感想を持たれたいというか。

だからといってそんな自信はないので、常に私でないなにかでいることに心地よさを感じてしまうんですがねえ、たぶん。


まとまらないから、きょうはここまで。

作られた私に時間を割いてみたいです。

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てだの ふあ×みつの はち
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