未来の私のために生きた私がいた。
だから過去の自分を抱き締めてあげたい。
えいがのおそ松さんを見て思い出したことです。
映画館なんて数年に一度だけ行く贅沢みたいに思ってきたのですが
今年はなんと既に2回も行ってしまいました。
一つはボヘミアン・ラプソディ。
クイーンが好きなので、なんだかよくわからなくも音響がいいらしいスクリーンで、いつもより多く払って、気合を入れて見ました。
クイーンの楽曲は好きだったけれど個人個人に興味があったわけではないので(寧ろ知らないようにしてきた。個人を知って作品を嫌いになるのが怖かった
史実とは違ううんちゃらはよくわかりませんが…
何度も泣きながら見ました。
タイトルの件を思い出したのは、えいがのおそ松さんを見たことによってです。
おそ松さんはずぶずぶにハマってしまったので、映画も見に行きました。
あらすじなんかは検索してもらうとして(ぜひ劇場へ見に行ってみてください
予告編でトッティこと末弟のトド松が高校生の自分(過去の自分)を抱きとめるシーンがあって、その部分だけで泣いちゃったんですけど
案の定、映画館の中でもそのシーンで泣いてしまいました。
そこで思い出したわけです。
本当に本当に苦しくて、自分が死ぬか親を殺すしかない、犯罪をおかして刑務所に入り親から否応なしに離れるしかない、そういうことばかり考えていた時期に
もし仮に生き続けたとして、未来の自分はどう思うだろうか
後悔するだろうか、私の選択を責めるだろうか
未来の自分には戻ることのできない過去を、今過ごしている……
そう考えて、選んできた岐路がありました。
正しかったかはわからないけれど。
私は私のために一所懸命やっていたな、と
その時の最善を、善処を、選んできたはずだな、と
だから私も過去の自分が残してくれた今の自分を少しは大切にしようって
思い直したところです。
自己肯定感が低くて、たぶん根底の自尊心も育っておらず
こじらせ過ぎて、ちょっとしたことで溺れたような気持ち、なにも助けがない気持ちに陥りやすいのですが
過去の自分を抱きしめたいし、大丈夫だよって言いたいし(むつごのように)
未来の私にも褒められたいから
やっぱりちょっとずつでも、投げ出さずに生きていきたいって思いました。
新年度から新しい環境。
体力と精神力を鍛えながら、歩んでいきたいです。